桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ 28

(N)さて、本日の話題は、2本あります。最初の記事は「鉄タビ(臨時便)」より始めます。タイトルは、「桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ」の28回です。

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いよいよ、参拝です(ブレブレで済みません)。その合間の、画像がさすがにないので…、ウィキペディアなどの画像を使用させていただきます。
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天気が良いとこうなります。ただ、今回は雨なので、このような画像になってしまいました。それで、私たちは内拝殿を外側から撮影したのですが、外拝殿というのもありまして、それが下の画像になります。
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そんな風景が広がる中で、みなさまも感じている疑問があるかもしれませんなぜ、近鉄はこの場所に注目したのか。では、その話についてみていきましょう。
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(Kt6051F)それについては、彼が詳しいはず。1029F解説お願いします。
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(Kt1029F)僕ですか…。実は、近鉄の母体となった大阪電気軌道は、大阪と奈良間を走る鉄道の建設を進めておりました。しかし、「軌道」と付くように、路面電車が主体でした。ただ、初期の経営は、まさに火の車状態でした。そのために、大阪電気軌道は、生駒、石切の神社さんからの融資を受けて、経営を立て直し始めます。
その中で、橿原方面に伸ばす路線として着工したのが「大軌畝傍線」、現在の橿原線です。
イメージ 7(N)そして、「畝傍線」の終着駅として作られたのが、大正12(1923)年3月に開業した橿原神宮前駅でした。橿原神宮の最寄り駅としての役割を与えたのです。
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(Kt1029F)そこに昭和4(1929)年、吉野から来た「吉野鉄道」の路線、吉野線が入ってきます。吉野線は橿原神宮前とは別の名称があったともされております。それが、「久米寺」という名前になります。
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(Kt16602F)どういうこと?
(N)実は、これが、ものすごくややこしくなっております。なぜかと言いますと、現在の橿原線は少し東にカーブをとっているのですが、路線全通当時は直線で結び、途中で現在の橿原神宮前の地点で合流していたのです。それに、もうひとつ、この橿原神宮前駅は今の地点から北北西にあり、現在の橿原神宮の近くを通る南北の道路(県道125号線)の真上に設置されておりました。
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(Kt1029F)では、現在の場所になったのは、いつですか?
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(N)昭和15(1940)年の「皇紀2600年プロジェクト」の大拡張工事に関連して、昭和14(1939)年に移転されたのですが、その時に「久米寺駅」と統合されるのです。そして、ほかにもとんでもない路線を持っておりました。それが、「小房線」です。
イメージ 6(Kt16602F)聞いたことがないですね、先輩は?
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(Kt6051F)そう言えば、6800先輩などから聞いたことがありましたよ。確か畝傍御陵前駅との間に、JRの畝傍駅があるけれど、そこから廻り道のような状態で廻ってきて、橿原神宮前駅で合流する路線の事ですよ。
(N)さらに、橿原神宮前駅と久米寺駅の間は、3路線の合流点でもありますが、軌道は1435mmの標準軌道と1067mmの狭軌軌道の併用だったようです。
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(Kt6051F)そうだったのですね知りませんでした。もしかしたら、橿原神宮前駅の一番東側の線路って、その名残かもしれませんね。
(N)そういうことだと思いますよ。それに、小房線の形が今役立っているかもしれませんね。たとえば、南大阪線の車両が五位堂検車区に送られる時も、一番東側の路線を使って、台車交換を行っておりますから。
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さて、旅を続けましょう。私と「しまかぜ」氏は、さっき述べた「久米寺」を目指して、歩いていきます。
イメージ 6(Kt16602F)まさか、駅名ではないのですよね。
(N)そうですよ。本物のお寺です。その話は「29」に回して…。
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ということで、ここで一句、

降り立ちて 深田の池に 浮かぶ鴨

では、次回「29」は久米寺の成り立ちについてお話します。お楽しみしておいてください。それでは。