桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ 32

(N)さて、本日の話題は、2本あります。最初の記事は「鉄タビ(臨時便)」より始めます。タイトルは、「桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ」の32回です。
イメージ 1
(Kt16602F)まだ、中にいるのですね。
(N)ええ、まだ中にいますよ。
イメージ 2(Kt1029F&1641F&6625F)まだいるのですか?

(N)さてどうなったのかといいますと、実は弥生時代で止まったのです。そのあとの話ですが、このころから「邪馬台国」がどうなったのかは置いといて…。
イメージ 1
(Kt16602F)えー!
(N)これ以上、話を続けると分からないことを永遠と話さなければなりませんから。
イメージ 3
(Kt6051F)確かに、では続けてください。
イメージ 4
(N)それでは、話を続けます。実際、橿原考古学研究所で発掘では、主にどの時代の発掘品を中心に展示しているのかというと、6個に分割した時代にわたります。その時代とは、古い順番から石器時代、縄文時代、弥生時代(これまでが前回まで紹介しました)という順番でした。さて、それから少しして、弥生時代の末期以降から古墳が形成され始めます。これが、「古墳時代」です。
イメージ 3
(Kt6051F)正確に言うと、西暦で何世紀に当たりますか?
イメージ 5
(N)正式には弥生時代が、前3世紀から3世紀まで、「邪馬台国」は3世紀のあたりです。それで古墳時代は、4世紀ですね。主に仁徳天皇陵はこの時代のものとされております。しかも、規模自体も巨大になります。
だから、それからといえますね。ただ、実際どんな古墳があったのか、その中身は様々です。例示を二つ紹介しておきましょう。
イメージ 6
一つ目は、外見です。この画像は「前方後円墳」と呼ばれるものですが、ほかにも「円墳」、「方墳」、「前方後方墳」といったものがあります。「群集墳」は末期に見られる特徴ですが、そのあと、古墳は寺社に形を変えて伝統が守られることになるのです。
イメージ 7(Kt1029F)どうして、そういうことになりますか?
(N)1029F君は、「氏寺」という言葉を聞いたことはない?
イメージ 7
(Kt1029F)そう言えば、春日大社は「藤原氏」の氏神だし…って、まさかそのことですか?
(N)その通りで、実は、「藤原氏」の氏寺は「興福寺」になるわけです。つまり、先祖の霊を守るために、巨大な古墳を作るより、哲学として入ってきた宗教「佛教」を取り入れるという方向に6世紀にいたって舵を切ったのだから、古墳はその前の姿といえるのではないでしょうか。
イメージ 8
もうひとつは、副葬品の中に、鏡が登場していることです。しかし、鏡を送るというのは弥生時代からすでにあったのですが、副葬品の生産ということをしているのは、この時代に入ってからだとされております。
つまり、銅の精錬技術などの性能が上がっている証拠と見るべきですね。
イメージ 1
(Kt16602F)この時代から、埴輪というのが登場したのですよね。それに、
イメージ 12イメージ 9
勾玉というガラス工芸が、発達したのもこの時期からですよね。
(N)実際、この時代は鉄、銅などの金属器の技術向上が目覚ましく、また全国統一の過渡期という時代ですから、大変な時代でもありました。それを記した資料が2本あります。それが『古事記』と『日本書紀』ということになるわけです。
イメージ 1
(Kt16602F)しかし、正式な記録と異なる部分が存在していて、分からない部分が多いのも特徴なんですよね…。
(N)そうですね。何が目的かといえば、大和王権の正当性の主張というべきかもしれません。
イメージ 10
その後、大和王権の政治体制が確立されると同時に、王位継承権をめぐる動きが広がります。その中で、『大化の改新』や、『壬申の乱』といった飛鳥時代に突入していきます。
イメージ 11
ただ、飛鳥時代の話は、主に宮が中心で、都ができるのが、飛鳥時代のはずれに当たる「藤原京」の時代となります。
イメージ 1
(Kt16602F)その当時の首都が、宮だけしか作らなかったということは、それだけで事足りたということですか?
イメージ 13
(N)当たらずとも遠からずですが、当時の海外情勢に疎かったということの表れです。「藤原京」の形も、中央に宮殿があるので、最先端の技術を、導入したのは和同3(710)年ですが、これが「平城京」となります。
イメージ 1
(Kt16602F)と、言うことは、都の考え方が浸透していくのは、奈良時代以降ですね。
(N)そうだと思います。それ以前は「宮」という扱いを受けるというわけです。だからというわけです。
イメージ 1
(Kt16602F)そうなんですね。
イメージ 14イメージ 15
(N)それ以外にも、律令制などが、整備されていく中で、本格的な都城整備がなされます。つまり計画的な都市計画がなされていくということになるのですが、実際にこの時に中央に、宮殿が設営される特異な形になったのです。…というか、この形で奈良時代の解説まではさすがにキツイので、ここで、誠に申し訳ありませんが、いったん切ります。
イメージ 3
(Kt6051F)確かに、一気に行くのはきついですな。それでは「33」に向かいます。