明治維新の香り漂う町を巡る 08 五条に御所!?

本日の話題の2本目は、「歴史もの」からですが、「明治維新の香り漂う町を巡る」の第8回となりますが、

イメージ 1私は、父親とともに五条に来ておりました。なぜかタイトルが「五條に御所!?」となっているのか「ごじょうにごせ」と読んだ人は…っていうのはやめにしましょう。イメージ 2
この場所に、いる理由は…。実はこれが、有名な天誅組事件の舞台となった場所です。そして、この場所で起こった天誅組事件とは何でしょうか。
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少しお時間をいただきまして、お話しします。
文久3(1863)年8月13日、孝明天皇神武天皇参拝および、攘夷親征の詔勅が発せられ、日本に攘夷運動の広がりがささやかれる中、土佐脱藩浪士吉村寅太郎ら攘夷派浪士は大和行幸の先鋒となるべく、攘夷派公卿の前侍従中山忠光を主将に迎えて(現在の京都)を出発したのですが、五条に到着後、幕府に揺さぶりをかけるために17日五条代官所を襲撃、桜井寺に本陣を置き五条を天朝直轄地とする旨を宣言するに至ります。このことを、「御政府」または「総裁所」を称し、五条御政府と呼ばれております。
この桜井寺は、その本拠となた場所です。小さくなったお寺ですが、歴史的には大きな価値のある場所として知られているのは、このためかもしれません。
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しかし、事態は予想しない方向に流れていきます。襲撃事件の翌日、8月18日のこと京では、長州藩を中心とした攘夷派を追い出し、大打撃を与えた事件「818政変」が勃発。
薩摩藩を中心とした公武合体による「オール日本」体制で難局を乗り切ろうという策に出ます。このために、大和行幸は中止となり京の攘夷派は失脚する事態に、結果的には幕府との戦闘に不利な状況をわかったうえで、高取城奪取作戦を敢行するなど、追い詰められ壊滅していきます。
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しかし、それから5年もたたない慶応4年(1868)年3月13日の薩摩藩三田藩邸会談において、江戸城無血開城が行われたことをもって、明治新政府は新たな首都として東京を据えることになるのですが、その出発点がこの五条ということになります。

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まあ、時代が映し出そうとした場所、そして、そこに夢破れた志士たちの姿、それは五条が、時代の流れを作ったといっていいのかもしれません。
イメージ 8イメージ 9そして、明治維新の香り漂う町は、その町から一歩抜け出た場所に…。
イメージ 10何だ…、これは…。次回「09」に続きます。