高野山愛の旅 05(行きませう、いきませう)

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」本編から「高野山愛の旅」の5回目。「行きませう」は「行きましょう」とお読みください。
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さて、ケーブル線のケーブルカーを降りた私と「しまかぜ」氏ですが、ここで終点ではなく、高野山の表玄関大門を目指すことになりました。イメージ 2
高野山駅から高野りんかんサンラインバスの大門行きに乗り込んで、走ること20分、大門に到着。
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前の旅では、ここから入ったことはなかったのですが、大門は高野山を代表する建築の一つです。
イメージ 4遠くからでも、この大きさは伝わりますね。さすがに、真言宗総本山道場の玄関にふさわしい構えです。その中で、一際ですが朱色の色が鮮やかですよね。さらに、アップで撮ってみました。
その一つ人には特徴があったのですが、それがどうなっているのか、気になるところですが、
イメージ 6よく見てみますと、一つずつ違うことが分かってきました。この画像は鳳凰ではないのですが、鳥類。
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続いては、植物とも思えるし、仏教の象徴といわれる「蓮」とも見えるし。
イメージ 7次の画像になると、「鹿」なのでしょうか。
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それにしても、気になってくると思う方も多いはず、ここで仏教のことについて、簡単に説明しておきます。
もともと仏教が、勃興した紀元前600年代は、インドの国内で宗教(哲学)ブームが起こった時代でもありました。当時はバラモン教という古典宗教が存在し、バラモンを頂点として、社会が支配されるという仕組みが整えられておりました。
しかし、宗教の肥大化によって、様々な弊害に対応できなくなったことがあり、仏教を興した釈尊は、「人とはなぜ悩み、なぜ苦しむのか」というテーマを修行で突き詰めました。
そこで、彼が悟ったのは「人は一生の中で、苦しみを繰り返しながら生きていく、そのためには、苦しみの原因と向き合うことが必要である」という結論を得ていくのです。
さらに、「五戒」では不殺生を最初に唱えていることから、いかに自然を愛する哲学(仏教は宗教ではなく、哲学という見方があり、それは、現在の仏教学者に共通してみられる見方である)だったのかが分かるかもしれません。
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さらにみていけば、「蓮の花」もあるうえ、
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生き物たちがたくさん登場してきます。

もっと、掲載したいのですが、この辺で、容量切れのようなので、次回に回します。次回「06」は頭だけ映っている、仁王様「阿形像」から掲載します。それでは。