高野山愛の旅 07 壇上伽藍を見ます!

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」本編から「高野山愛の旅」の第7回、続いて、「壇上伽藍」にいます。

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さて、「壇上伽藍」は「金剛峰寺」に所属する寺院塔頭郡といわれております。それゆえ、今の画像は、中心となる「金堂」です。
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続いては、あの有名な「根本大塔」です。ちなみに比叡山延暦寺は「根本中堂」ですが、この「根本大塔」は、昭和12年(1937年)に空海入定1,100年を記念して再建したものです(ちなみに「入定」とは、なくなるの意味ではなく、永遠に瞑想に入っていることを示すもので、死亡とは記されていないといわれております)。内部正面のには昭和天皇宸筆勅額「弘法」が掲げられているようなのです。
その中を入ってみると、大日如来像とほかの仏像に特徴があります。この場合は大日如来が「胎蔵界」、その周りを取り囲む如来仏像が「金剛界」という仕組みです。
これはどういうことかといいますと、「胎蔵界」は「大日経」をもとに系図化したものであり、「金剛界」は「金剛頂経」をもとに系図化したものです。
その二つのお経は、どちらにしても「大日如来」をテーマとして扱っているのですが、成立年代が異なっていることなどの要素が重なっていたため、わかりにくかったのが実情でした。
そこで、弘法大師空海が、入唐留学した時期の師匠恵果阿闍梨(空海が留学中に息を引き取っております)が、分り易くまとめたのが、「両界曼荼羅」です。
先ほどの説明に戻ると、大日如来像と、その周りを取り囲む如来仏像が異なる場所から来ただけではなく、決して出会うことがない珍しいケースということになります。
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ちなみに、撮影禁止のために、内部撮影はできませんでした。あしからず。
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その根本大塔の中は、結構広くひんやりとしておりました。「しまかぜ」氏も、言葉を失う美しさに見とれていたような、気がしておりましたね。
イメージ 5そのまま、先を進みます。金堂の画像が続きますが、
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そのまま歩いて、ほかのお堂を巡ることになりました。ところで、これを角度を変えてみますと、
Wikipediaの「高野山」の画像とほぼそっくりです。角度が少しずれた感じですね。また影もありますし、夕方撮影したのかもしれません。
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西塔も、所属は「金剛峰寺」です。しかし、「金剛峰寺」の伽藍が、このように独立しているのだとすると、1日で回りきれるかな。と心配になります。
イメージ 8お寺に、鳥居と思われた方。平安時代からですが、神道と仏教を合わせるということが起こっており、これは明治維新のころまで続きました。
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実際に、廃仏毀釈運動が起こったころから、神道と仏教の分離が始まってしまい。現在に至ってしまうのです。
結果的に、神仏が仲良く過ごす時代は終わりましたが、ここにはその名残が見え隠れてしていました。ということで次回「08」も「壇上伽藍」の撮影です。

それでは。
(参照:『Wikipedia』「高野山」「金剛峰寺」より拝借)

P.S. 
それと、本日予定しておりました3本目は、体調が悪くなったために、中止することになりました。誠に申し訳ないですが、ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。

それでは。