高野山愛の旅 13 お饅頭をお土産に…。(餅屋に行くまで)

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」本編から「高野山愛の旅」の13回です。
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さて、私と「しまかぜ」氏は『宝物館」を出たところです。時刻は、午後3時ごろになっていました。このオブジェ2枚ありますが、あるのは木魚です。住職などが読経を唱える時に使用する道具です。お寺にお勤めの方は珍しいものでもありません。そこに、小さいお坊さん、小坊主がすやすやと寝ているのでしょうか。
微笑ましい画像ですが、私には意味があるような気がしてしまします。
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何かと考えると、このように休まる時代、つまり「恒久平和」の意味があるのだと、私には思えてしまうのです。どうして、こう考えるようになるのかといいますと、この高野山は戦争時(太平洋戦争時{昭和16【1941】年12月8日~昭和20【1945】年8月15日})に、海軍航空隊基地があったのです。
そもそも、なぜ、このようなことが起こっていたのかですが、太平洋戦争の開戦に伴って、航空戦闘力の増強を目的とした部隊の増設が始まりました。高野山からだいぶ東に出た伊勢に、香良洲町という町があります。
そこに、もうけられた部隊が日本帝国海軍「三重海軍航空隊」が、この部隊をもとにしたのですが、昭和19年に入って、戦争が激しくなった後、新たな航空隊を、創設します。
それが、「高野山海軍航空隊」ということになります。
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さて、歩いているのですが、周りは桜がたくさんありますね。そして、
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ゴマ豆腐、ほかにも饅頭などたくさんあります。
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それだけではなく、様々なお土産を打っている場所です。そして、歩いて歩いて行くのですが、その前に、航空隊のその後をお話ししましょう。
分隊が出来上がった後、分隊から航空隊に格上げされたのは、昭和20(1945)年3月です。それから3か月後、航空隊から大阪警備府に所属が変更されます。ここで「大阪警備府」というのは、商港警備を担当する部署です。
同じ年の11月30日まで機能するのですが、復員兵たちを集めるための部署としてこののち機能していきます。これは、ドラマ「ごちそうさん」で、主人公めゐ子の夫、裕太郎がお世話になったのが、「大阪警備府」だった可能性があります。
おそらく、この「高野山海軍航空隊」も終戦から数か月ほど機能していたのかもしれません。その点についての詳細は、わかっていないのです。
さて、「高野山海軍航空隊」の元となった「三重海軍航空隊」は、戦後どうなったのか、三重空が所在した香良洲飛行場は、2/3を占める巨大な埋立地をそのまま活用していきます。痕跡としては、津市香良洲歴史資料館(旧若桜福祉会館)の展示物などが残っております。
では、別の例で見てみると、「奈良海軍航空隊」の話で見てみます。この部隊も親が「三重海軍航空隊」の分隊として創設された経緯があります。それを見てみると、なんと終戦の一月前に解体させられております。
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さて、饅頭屋はもうそろそろ、ということで…。
今回は、ここまで、次回「14」は、麩饅頭を買うのですが、同時に解説として、高野山のお土産などの話を、していきます。それでは。

最後に、最近寒暖の差が激しくなってきているので、お風邪を召されぬよう、お気を付けください。

失礼いたしました。それでは。次回をお楽しみに。