近鉄奈良線100周年のヒストリートレインを撮ってみまひょ 04

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」本編から「近鉄奈良線100周年のヒストリートレインを撮ってみまひょ」の4回目ですが、
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いきなり、ばばーんと画像を出しましたが、まだトークショー会場にいるところですが、
イメージ 6その合間に、近鉄の歩みともいえるポスターを…撮影してみました。右のスマホの方も、貴重なものだと思って撮影しているのですが、右のポスターは、昭和35(1960)年に掲示されていたもので、平城京遷都1250周年を記念したポスターでした。
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その次は、近鉄奈良線100周年イベントに合わせて集った車両(鉄道模型)たちです。上から初期を支えたモ200型以下中型車たちですね。
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続いてはNゲージ車両の奈良線ですが、シリーズ21の比率が高い上に、手前から3列目の9820系は、違和感があると思ったらパンタグラフ搭載車両のパンタグラフ位置が大きく異なりますし、普通でしたら方向が異なるはずで、完全にでたらめ編成となっております。
イメージ 9一番下は、大阪線も含めた編成ですが、12200系と10100系、20100系の特急車両はかなりの迫力がありますね。
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続いては奈良線を駆け抜けた車両を写真で、カラー写真で貴重なのは3列目トップの800系と、2列目の4段目600系の2枚です。これは、孔舎衛坂駅で撮影したものです。
実は、近鉄奈良線の歴史を紐解くと、いかにして奈良と大阪を短時間で結ぶのかを目的とした路線でもありました。もともと、生駒トンネル開削には多額の資金を使い、最後は社長の岩下が私財を投げ打って建設を続行させたという話があるほど、情熱を感じさせられたのですが、何せ初期の経営は火の車に近い状態で、奈良線は雨などの天候にも左右される始末でした。なぜなら、その日の売り上げが天候で、上がったり下がったりを繰り返していたからです。そのために人々は、当時の社名「大阪電気軌道」をもじって、「大阪天気軌道」と揶揄する始末。
その後、何とか経営を立て直したのですが、戦争の影が迫ってしまい…、戦後初期はブレーキ故障などのトラブルや、発火による死者を出す惨事を起こし、昭和23年3月31日(ちょうど年度末)には、モ200型3両編成の急行が暴走し、衝突事故を起こした「近鉄奈良線列車暴走追突事故」など、様々な事態が発生したのですが、それを乗り切ると、地道に輸送力を増強するために、8000系を導入するなど、通勤路線として現在に至っております。
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さて、南田さんとは昨年の話で盛り上がり、
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配布されていたものを受け取ると、3人でコンコースに降りてきました。
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「HY」氏は、午後6時半からの「AKB48」の握手会に出向くために、大阪市港区に足を運ぶため、一足先に大阪市営地下鉄千日前線に乗り込んで、大阪港方面に向かいました。
ところで、この前のことですが、「AKB48」の握手会で何者かが、メンバーに切りかかるという事件が起きたのはご存知の方も多いでしょう。確かに、「その場所に行けば会うことができるアイドル」というコンセプトで、立ち上がった「AKB」ですが、リスク管理の点でいえば、不測の事態と表裏で接しているという危険も伴います。まさに、警備の問題が表面化した実例だといえるのかもしれません。
さて、話が脱線してしまいましたが、私とS氏はこの後、「ヒストリートレイン」を撮影するために鶴橋駅に直行しました。
イメージ 4ちなみに、1421編成を撮影したのですが、乗っていたのは、右側にいる編成…。宇治山田駅行急行なので、そちらに乗っていきます。
鶴橋駅には1分で到着し、
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イメージ 12早速、撮影開始したのですが…、トップでやってきたのは、8600系8604編成と、8400系8403編成の大阪難波駅行急行でした。
ということで、次回「05」は、鶴橋駅での撮影を本格化させます。それでは。