近代化遺産と山本覚馬達の功績を巡る旅 15

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近代化遺産と山本覚馬達の功績を巡る旅」の第15回です。
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さて、京阪電鉄樟葉駅にある葛葉モールの中にいる私たちですが、京阪旧3000系以外にも多くの車両の模型モデルが展示されており、そのディスプレイを見て回っておりました。
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昭和24(1949)年の会社分離以降、オリジナル車両の開発を始めていたのは、戦前からでしたが、戦後はその部分を加速させていきます。
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ただ、戦前にも多くのめずらしい車両が出てきました。たとえば、ロマンスカーの1500型、後の600系はその最たるものです。

実は「ロマンスカー」という言葉を生んだのは京阪電鉄です。そのロマンスシートを使ったのが最急行と呼ばれた運用で活躍していました。
ところが、そののち立て直しのために、車両をやりくりしていきます。
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戦前期に、その形に対応する車両として挙げられるのが、60型「びわこ」号です。これは、直通運転を目的とした車両で、専用軌道区間と路面区間の運用を柔軟にこなすために作られたアイディア車両でした。しかし、晩年はもっぱら、京津線ないし石坂線に使用されていました。
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その後、昭和30年代以降は、独自の車両開発に磨きがかかります。その最たる車両となるのが1900系です。

あれ、どこかで聞いたことがあると思われた方は、
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そうです。テレビカー車両のRailsimPIで取り上げたあの車両です。実は、昭和38(1963)年に製造されたのですが、
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最晩年は、こんな顔をしておりました。なんだかさみしい気がしないでもありません。
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そののち、その遺伝子を受け継いだ車両が、この旧3000系昨年は引退で、だいぶにぎわいました。
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最後の編成がクラシックタイプで運転されていたのをご記憶の方も多いでしょう。
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そして現在では、新3000系と8000系のツートップで特急が運用されており、現在に至っております。

その通勤車両でも大きな変化が起こっておりました。それが、
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この2系統です。つまり、大量輸送からゆとりの安定へ。6000系などのタイプからは、前面非貫通型構造車両に変貌を遂げております。この色が主流だった時代の京阪急行で、伏見稲荷大社まで行った記憶がありますね。
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まあ、戦前からは大きな変化ですが。すごいですよ。これをRailsimPI…。
また今度にしましょう。それでは、次回「16」は京津線のお話しをいたします。それでは。