近鉄団体車両撮影ツアー 05

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近鉄団体車両撮影ツアー」の第5回です。

さて、本日は名張駅を出発していきます。といいましても、接続時間は8分。その間にコンビニで買い物をする時間があったともいえるのですが、それができないまま、列車に乗り込むことになりました。イメージ 1
丁度やってきたのが1430系1444編成です。

ここで再び解説に戻ります。昭和7(1932)年より大阪上本町駅と宇治山田駅を結ぶ特急が開設されます。ここで、読んでいる方は「おやっ」と思うかもしれません。ナレーター(ライター)は普通は、特急を撮影したというときは特急と表記しますが、この理由はいったいどこにあるのでしょうか。
その当時、使用されていた車両と関係していました。
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それが、この車両。近鉄2200系です。この車両は、当時、大阪と伊勢間を結ぶ特急として活躍したのです(このRailsimPIのリニューアルを検討中)。
当時の停車駅は、大阪上本町駅を出ると大和八木駅までノンストップ状態で運転、そこから名張駅、伊勢中川駅、松阪駅、伊勢市駅という順番に停車していました。ちなみに、それから30年後に当たる阪伊急行の停車駅は、鶴橋駅、大和八木駅、名張駅、伊賀神戸駅、佐田駅(現在の榊原温泉口駅)、伊勢中川駅、松阪駅、伊勢市駅の順番でした。
ところが、わずか10年後に戦争で、休業に追い込まれます。さてこの当時の特急の形態はどうなっていたのかといいますと、
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現在の京阪電鉄(Kh8009F:およびですか?)、
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阪急(Hk1000F:呼んだ?)、
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阪神(Hs1207F:呼びましたか~?)といった私鉄と同じで、特急料金を徴収しない特急列車を運転しておりました。
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しかし、戦後になってから、特急専用車両を使っての指定席仕立ての特急に変更(Kt5751F:お呼びでないよ、君たち!)するまでに何があったのか、実は、近鉄の発足と大きく関わります。

実は、昭和10年代から名古屋線などを買収して関西急行鉄道へ名称を変更した後、昭和19(1944)年に、南海鉄道との合併を当時の鉄道省から打診されることになります。当時の南海は、阪和線を国鉄線に接収された後ということでしたが、この時期の合併ということで、両社ともいやいやながらの合併となったのは、想像に難くありません。
まさに、そんな状態の中で、近鉄は発足したのですが…、その翌年に終戦を迎え、発足3年目にして、和歌山関係まではカバーできないと考えた近鉄首脳陣は、高野山登山電鉄改め、南海電鉄(今や空港路線を敷設しているあの会社)に譲渡します。しかし、代わりに吉野方面に向かう鉄道などは譲渡しないまま、広大な営業エリアを手中に収める近鉄の原型が作り上げられたということになったのです。
その維持をして行かなければならないので、結果的に指定席料金徴収型に変わらざるを得なかったのです。そういった中で、近鉄特急は戦前の名車といわれた2200系を中心に組み立て行くことになります。
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中でも栄えある2200系、2227系で何とかしてきたのですが、その車両を上回る戦後生まれの特急専用車両が必要となってきたのです。それが、昭和28(1953)年の「式年遷宮」です。
昨年、「しまかぜ」君がデビューしたそもそものきっかけが「式年遷宮」ですから、その話とは切っても切れないということになります。
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そこで登場してきたのが、2250系でした。この車両が、近鉄特急の常識を変えるきっかけとなります。
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さて、私を乗せた1430系1444編成は、青山町駅に、そこにはこれからお話しする車両たちが控えておりました。
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なお、この編成はこの後、大阪線東の終点伊勢中川駅を目指して、のんびりと空の下を走っていきます。スルッと関西のエリアの東端駅にやってきたのですが、普通運賃できた場合は、片道で1730円かかってしまいます。往復で3460円ですから半端なものではないので、お得感がありますね。…野暮な話をしていましました。

ということで、次回「06」では、そのあとに来てくれた車両たちと、近鉄特急の解説でお楽しみください。それでは。

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