近鉄団体車両撮影ツアー 06

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近鉄団体車両撮影ツアー」の第6回、

イメージ 4青山町駅で、伊勢中川駅行を見送った後、さっそく、大阪方面のホームに急ぎ、撮影を開始するのですが、その前に解説の続きをお話ししていきます。
昭和22(1947)年、南海電鉄を分離した同じ年、大阪上本町駅と伊勢中川駅、伊勢中川駅から名古屋駅を結ぶ座席指定特急が、登場してから8年がたった昭和33(1958)年、当時の特急車両の常識を覆す新型車両が生まれます。それが、標準軌規格専用特急車両10000系です。
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(画像は、「鉄道で行く旅」様より拝借しました)。
この車両は、中間車両が連接車両となっていたこと、など思索的な要素が多いことだけでなく、当時としては珍しい2階建てドーム式のダブルデッカー、さらにエアコンシステム完備といった特別がふさわしい車両だったといわれております。
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(Kt21101F)まあ、僕たちにとっては大先輩に当たる人だけど。

そうですよね。21000系にとっては基礎部分を作ったお方ですから。
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(Kt23103F)それでしたら、僕もそこに含まれますよ。

その通りですよね。って、解説に戻るので横槍を入れないでくださいね。
イメージ 8(Kt23103F)わかりました。私はこのまま、賢島駅まで向かうので、お先に失礼します。

さて、10000系の解説に戻ってみましょう。実は、この車両のデビュー当初の姿は、今の画像とは大きく異なっておりました。
しかも扉が、2枚重ねを観音開きにした折り畳み方式、乗降口が結構広かったのかと誰しもが思うしかないデザインでした。
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さて、写真をもう一度、よく見てみると、おかしなことに気づくはずです。「特急表示のヘッドマークって、こんな感じだったかなぁ…」と、
後々に採用されたヘッドマークは、
イメージ 11逆三角形のこのマークがおなじみで、正面向かって左下に行先が表示されるという形を取ったわけです。
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(Kt30205F)実は、11400系先輩から聞かされていたことがあったのですが、実は、10000系先輩は10100系先輩のデーターを取るための試作車両としての性格が強かったのです。実はこの写真で写っていないのがモ10007型ですが、登場当時は写真と同じ顔をしていたのですよ。

実は、製造から下ること8年となる昭和41(1966)年、大阪線河内国分駅構内で、先行していた名張方面に向かう準急に、衝突する事故が発生、運転士が死亡、43人が負傷する事態となりました。この事故が影響したのか、翌年の昭和42(1967)年に同駅には、引き上げ線が設けられております。
イメージ 10(Kh8001F)実は、この事故の原因は、運転士の信号見落としでした。
イメージ 9(Kt30205F)ちょ、ちょっと、貴方は関係ないのでは?
イメージ 10(Kh8001F)実は、私の路線で起こった事故と似たような感じでしたから、ついてきてしまいましたよ。

その3か月前ですが、京阪電鉄でも同様の衝突事故が起こっておりました。ただ、種類が異なり、近鉄が追突事故で済んだのに対し、京阪電鉄は側面追突という形だったのです。その辺は8001編成さん、解説よろしく。
イメージ 10(Kh8001F)近鉄の話なのに私事で申し訳ありません。私たちの走る京阪では、複々線区間というのが、天満橋駅から萱島駅の間に設けられてあります。事故が起こった、昭和41年当時は京橋駅付近から守口駅までの区間だけしか複々線区間がない状況でした。急行線(A線)を走っていた急行が普通と衝突してしまうという事態となってしまったのです。近鉄さんのほうは追突だけでしたから、まだよかったほうです。うちの場合は急行列車が対向車線にはみ出してしまい。挙句の果てには信号所の建物本体を破壊する始末ですから。
イメージ 9(Kt30205F)そんなにひどかったのですか?
イメージ 10(Kh8001F)確か、国分駅の事故では、1人死亡、43人の重軽傷で済んだのですが、私の方は重軽傷者51名、幸い死者は出なかったのですが、この事故の直接的な原因が、運転士の過労による者とされているのですが、実際に同じ事故を起こさないということから、ATSの導入に踏み切ったという話です。
イメージ 9(Kt30205F)そうでしたか。私たちの先輩に当たる12000系系列以降からATSシステムが導入されていくのですが、その扱いを巡って悲劇が起きていますし、その話はまだ先ですので、お待ちくださいね。

ということで、そういうこともあって、モ10007型は昭和40年代に登場した18200系特急車両の顔に整形してもらったうえで、運用に復帰します。
そして、再び活躍を始めたのですが、その事故からわずか5年の昭和46(1971)年に、さよなら運転となってしまうのです。
イメージ 9(Kt30205F)理由は、車両の配置です。実は7両編成と奇数編成に近鉄は疎いという側面があります。

しかし、スナックカーは晩年3両固定編成ですので、それだけで説明はできません。実はもう一つの問題点が浮かび上がります。
イメージ 9(Kt30205F)それは?

では30205編成さんに質問します。今のビスタカーの定員はどれくらいですか、
イメージ 9(Kt30205F)え? 確か、僕の場合は、モーター車両が60名、中間のダブルデッカーが76名です。さらに先輩の10100系の場合は、モーター車両が68名、中間のダブルデッカーが48名です。しかし、これは長さの関係が…。あっ!

そうです、実は10000系は号車ごとの収容人員が一定しないのです。まず先頭車両となるモ10001と10007が72名、次位に着く中間車両のモ10002と10006が76名、しかし、ビスタドームを搭載したク10003と10005が74名ですが、そこに挟まれたサ10004が78名となります。しかも、このサ10004型が曲者で、
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(模型工房ポッポ様より拝借)
こんな形でした。これはさすがに…78名は入るのかといわれると入るのですが…。そういうことで、定員が安定しない上に、
イメージ 9(Kt30205F)その上?

パソコンでの座席紹介システムを当てることができないという弊害にぶち当たってしまいます。結果、昭和46年の運転を最後に引退、その制御機器は、生き残って、
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現在3代目の「鮮魚列車」で活躍している2680系に引き継がれていきます。

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(Kt1641F)まあ、先輩方、それから京阪8001編成さん。解説ありがとうございます。ナレーターさんどうもです。

10000系の話はこのままとして、私は臨時列車を待つことにしたわけです。ということで、次回「07」では、車両を待ちながら、入ってきた車両の撮影をしてきます。解説は名阪特急のエースが登場します。それでは、次回「07」をお楽しみに。

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