近鉄団体車両撮影ツアー 07

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近鉄団体車両撮影ツアー」の第7回となります。
イメージ 1
まだまだ、進みませんが、実は、このとき陣を敷いていた3人と少し話をしていたところ、彼らの口から「河内路ライナー氏」の旧ハンドルネームが飛び出して驚き、その3人と話をして盛り上がっているところで、1620系1641編成の青山町駅行急行が到着したところに戻ります。
イメージ 2
その前に、解説も4回目に入ってきました。
10000系の話から始まった近鉄の話ですが、この大阪線が開通したころに一旦戻り、名古屋線のお話しをして行きます。実は、次の紹介する車両と関わりがあるので、この話は避けて通ることができません。
大阪と伊勢間を結ぶことに成功した大阪電気軌道に突如、出現したライバル。それは、桑名市から伊勢市を結んでいた「伊勢電鉄」という鉄道会社でした。このときの伊勢電鉄は、狭軌規格の1067㎜で運用していたのです。
ということは…、
イメージ 3
南大阪線の線路幅と同じです。
その状態は、参宮急行電鉄に合併した後も、この状態は続きます。
イメージ 4
その間に、近鉄特急車両の運用を増やすのに限界があったことや、設備投資が余計にかかることから、土台事態を改良しなければならないということを考えようとしておりました。その矢先、伊勢湾内に上陸した台風15号は、名古屋市などを通過したあとに、大変な被害が出てきたのです。
実は、その被害にあったのは、中京圏の広い範囲に及び、超大型の台風ともいうべきものでした。しかも、その被害は、名鉄尾西線名鉄常滑線JR関西本線と近鉄名古屋線を走っていた北伊勢地方での浸水が中心でした。実は、当時の画像を見たことがありました。

そんな中で、全線の復旧と改軌を同時並行で行った近鉄は、名阪直通特急構想を打ち立て、それを実行に移します。その専用車両として10000系のデーターを組み込んだのが、あの名車、
イメージ 5
標準軌規格対応名阪直通並びに阪伊および名伊甲特急特化型特急車両10100系電車でした。この車両主な特徴は以下の3点に集約されております。

1.編成の定員の標準化
2.自由度の高い編成(A,B,C各編成を別々に生産したため)
3.連接構造による編成長の短縮と高速化

の点です。
イメージ 6
以前紹介した10000系は、単一編成で、定員のバランスが不安定な面があったことから、早々と引退しました。その点を補ううえで、この10100系は、定員の標準化を行います。
30205編成さんが述べていた定員数は、特急列車として活躍していた晩年の時期のデーターでした。
イメージ 7
(Kt30205F)それはどういうことですか? 僕は正しいデータを述べたのですよ?

確かに、そのデータは正しいです。実は、ここに隠れいているのが、
イメージ 8
この車両のデーターの存在です。実は、12000系系列が登場した昭和45年以降、スナックコーナーの増設に伴い。4席ほど削る工事をしていました。そのため、初期のデーターは先頭車両が68名、中間車両は52名だったのです。
イメージ 7
(Kt30205F)そうでしたか、これは迂闊でした。
イメージ 9
(Kt12236F)たぶん、それは、僕たちの影響が濃かったことですよ。僕たちが登場したころ、10100系先輩はだいぶ苦労されておりましたから。

そうです。10100系は名阪特急のエースとして活躍し始めましたが、とんでもないライバルの出現で苦境に立たされることになります。
イメージ 10
(N700)皆様、お久しぶりです。N700です。僕の路線が登場したことによって、名古屋と大阪の交通地図が大幅に塗り替えられてしまいました。

東海道新幹線の登場が、名阪特急のエースといわれた10100系の運命を大きく変えてしまいます。そのために、名阪特急運用から名伊、阪伊特急にシフトし、新設された京伊、京奈、京橿特急での運用にも携わるなど(運用開始はデビューから14年後の昭和48{1973}年)、汎用特急車両として活躍しました。
イメージ 7
(Kt30205F)しかし、先輩も登場からすでに20年が経過していたこと、それから連接台車を装備していたことなどがあだとなってしまって、私のデビューを早める結果をもたらしました。

一番大きな原因は、メンテナンスがやりにくかったということです。それと乗降口の問題がありました。
イメージ 9
(Kt12236F)実は、10100系先輩の最大の弱点は乗降口の少なさにありました。1編成に3か所しかなかったのです。普通は、11400系先輩だって4か所以上つけておりましたよ。
イメージ 7
(Kt30205F)そういえば、その話は11400系先輩から聞いていたことで、私たちの場合は、伊勢方面(名古屋方面)には扉が2箇所設置され、それ以外が1か所に収まりました。これは、12200系先輩の兄貴に当たる12000系先輩の時に確立されたシステムです。それを現在は、22000系君達が引き継いでいるというわけです。
イメージ 9
(Kt12236F)実は、私の車両の編成にはT車の扉が2箇所に設定されております。それにレイアウト位置が反対になっている22000系君や、22600系君も私の持っていた要素をできるだけ忠実に再現しているということになるわけです。
イメージ 11
(Kt2611F)確かに、その通りだけど…、10100系さんは扉が1か所しかなかったために乙特急運用では苦労の連続だったのですから。

確かに、その通りです。乙特急運用では苦戦続きだった10100系は、最晩年にA+B+C編成を合わせた9両編成で運転して、最後の花道を飾ったわけです。
イメージ 9
(Kt12236F)その後、その遺伝子は、30000系君に受け継がれて、現在に至っております。
イメージ 7
(Kt30205F)ただ、その下回りは、名古屋線を走る2000系に使用されておりますよ。

そうですね。ということで、そろそろ、ここでお暇しないと。ということで、次回「08」は、解説と、ある人が合流してきたという話をして行きます。それでは。

NEXT>08