近鉄団体車両撮影ツアー 11

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近鉄団体車両撮影ツアー」の第11回、解説は12200系の後編と、大阪線の全線複線化、さらにツアー会場の様子を中心にお話しします。
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(Kt18409F【除籍】)いよっ、待ってましたー!
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(Kt5723F)どんどんぱふぱふ~。
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(Kt15206F)おいおい、君たちが主役ではないよ。では、ナレーターさん始めて下さい。

さて、話は昭和46年から昭和47(1971~1972)年にかけてです。特急列車の正面衝突からの展開を見ていきます。実は、事故を起こした特急車両12001,12202両編成を廃棄処分(荼毘にふす)することにした不足分を補うために、追加生産を予定より早めただけではありませんでした。
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(Kt15206F)実は、この年から今まで先送りしてきたというと悪言い方ですが、工事のスピードが間に合わなかった。事故現場の区間だった西青山駅と榊原温泉口駅の間の区間を複線化したことを皮切りに、昭和50(1975)年に大阪線の全線複線化が完成します。

実はここで、疑問が出てきますが、昭和46年の事故直後から工事に取り掛かったのか…。その答えとして、以下のリンクをアップしておきます。
その動画の説明によると、工事着工は翌年となる昭和47(1972)年からです。奇しくも、昭和47(1972)年といえば、オイルショックに、3月は連合赤軍事件の締めくくりといわれた「浅間山荘立て籠もり事件」という大事件、テロの真っ只中でした。
その中で、旧線を生かす工法を取り込んだ大工事となります。このときに、西側区間は大幅な改造をされていくことになるわけです。
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そういった中で、青山町駅からの区間をどのようにしていくのかを見てみた結果、現在の直線に近い形となったというわけです。
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(Kt15206F)実は、そこを通すために、新青山トンネルを建設するのはいいのだが、トンネルを完成させるのに2年の年月を要したということなのだよ。ただ、それより前に、伊勢側の複線化が完成していたことから、楽になったのだけど。

確かに、その通りですが、このトンネルの工事は全体区間で3年の期間をかけたということになります。
ちなみに、新青山トンネルは計画を発動してから2年後の昭和49(1974)年に、貫通し、ロングレールを採用。
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(Kt12233F)このロングレールの総延長は7キロメートルにもおよび、当時の日本私鉄界では最長距離といわれておりました。実は、この区間では、レールの継ぎ目の音がしないのですよ。

そのために、昭和50年に複線化が完成した後、大阪線の輸送力が増強されていきます。実は、それを予測しての12200系の増産が進められたわけです。また、昭和46年の大阪線史上最大級の事故が起こったのとちょうど同じ年から、12200系に新たに中間車両の増産体制が出来上がっていたことによるものでした。
つまり、
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#12201-12220(#12202Fは除籍)
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#12221-12246(スナック未装備)(一部は#12231-12246はのち4両となる)
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#12247-12256(その後は、12231-12246もこちらに変更。)
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#12249,12250のみ(のちに4両編成に変更。)

という形になっておりました。
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(Kt12233F)まあ、僕たちが、ここまで成長できたのは、近鉄首脳陣の頭の良さだったのかもしれませんね。
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それより、それが暗くなってきましたね。
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(Kt15206F)ええ、一雨ありましたね。ということで、次回「12」は、私も含めて、12400系の解説と大阪線の複線化の影響をお伝えしていきます。それから、12200系の画像は「kiha58の鉄道総合研究室」様の画像を使用させていただきました。ありがとうございました。

ということで、次回に続きます。

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