近鉄団体車両撮影ツアー 16

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近鉄団体車両撮影ツアー」の第16回です。昨日は、14回と記載してしまい「おや?」と思われた方がいたと思います。記述違いでした申し訳ありませんでした。

私と500T氏のふたりで、青山町駅第2踏切での撮影を続行していたのですが、
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12602編成の大阪難波駅行特急(乙特急)こと、賢島乙特を見送って、次の車両の撮影をし始めます。続いては東行きの列車を撮影。
次の解説の主役がこの車両です。ということで、解説を始めます。

昭和50年の国鉄数度にわたる運賃値上げ、そして国鉄改革、さらにJR運営会社への分裂もろもろ、様々な事態が一気に降りかかって、混乱しているさなか、近鉄は、昭和39(1964)年以来となる名阪特急に対応する特急車両を製作しようと意欲作を出すことになりました。これに対して先鞭をつけていたのが、12410系だったのは14回(はっきり言います1回目ですお間違えの無いように)で説明しました。
しかし、今後のことを考えて、12410系の代わりに、
30000系の30214編成、30215編成と12600系2編成で調整していたのですが、このビスタカーも、そろそろ登場から10年もたつことを考えれば、斬新なデザインによって「乗りたい」と思わせる車両の開発を目論んでいたことが、始まりでした。
イメージ 5(Kt30208F)確かに、30000系だけでは、正直言いますと甲特急専用車両としての運用はきつかったのが事実です。実は、国鉄の話に補足を付けますが、昭和50年代より本格化した運賃の値上げは、念を重ねるごとにひどくなり、昭和51,53,54,55,56,57,60年に運賃の値上げを行いました。実は、値上げした年数をよく見てみると、何か気づきませんか。
イメージ 6(Kt9051F)えっ、何かって…、昭和51、53、55、57、60年? 何だろう?

実は、この年数の意味は何かと言いますと、この表になります。
昭和51年 12400系デビュー
昭和53年 30000系デビュー
昭和55年 12410系デビュー
昭和56年 12410系4両固定編成登場
昭和57年 12600系デビュー
昭和60年 30000系最終編成30215編成登場(名阪特急使用を目的とした)

となるのです。つまり、国鉄の値上げに合わせて、近鉄特急車両は増備されていたのです。
イメージ 6(Kt9051F)そうか、全て重なりますね。確かに、運賃の料金値上げが多くの私鉄にとって、朗報だったのですね。

そういうことです。当時の近鉄は、1880円を基本料金とした当時、国鉄線の名阪区間は値上げをする前の2070円、値上げ後は3100円に跳ね上がった関係で、運賃で優位に立ったというわけでもあったわけで、そこで新型特急車両は、ゆとりをさらに追及、さらに昭和59年に登場した100系新幹線と、当時の西ドイツで制作されていたインターシティおよびトランスヨーロッパエクスプレス専用特急車両で、ICEのもととなったV403電車のデザインを元にして、車両が製作されることになりました。
そのコンセプトの下でデビューした車両が、
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標準軌規格都市間特急対応名阪甲特急専用車両21000系「アーバンライナー」という車両でした。実は30000系からだいぶ進化したのが、通称名として「ビスタカー」ではないということです。これには、「エクシード7」と呼ばれるコンセプトが関係しております。

7つありますが、それぞれ見ていきましょう。
「エクシード7」①:スピード
近鉄大阪・山田・名古屋各線は最高時速110キロでの運転が、昭和6年から続けられていたのですが、それを10キロあげて120キロにすることが目標として掲げられたのです。それに合わせて、在来車両だった12200系以降の系列も、パンタグラフの耐久性を強化するといった工事をアーバンライナーの登場した昭和63(1988)年から10年をかけて行っております。
実は、パンタグラフだけでなく、車両自体にも大きな特徴がありました。実質上のモーター車両のみの製造だったということです。当然のことながら、当時の技術では、
「エクシード7」②:スタイル
実際に120キロのスピードを出すためには、相応のスタイルが要求されるということから、低運転台でありながら、角度は27度の鋭角として整形し、カラーリングも変更されて、オレンジと青という標準特急の色から、純白とオレンジとなる色に変更することになります。
「エクシード7」③:スペース
今までのシートとの大きな違いは、広くとられたスペースとなりますが、実は今までが980㎜だったために、狭かったのですが、このタイプから1090㎜と110㎜広くなり、ゆったりした席に代わったこと。これだけではなく、着席する座席空間を大幅に広げる工夫もしております。
「エクシード7」④:シート
実際、この系列から初のデラックス車両が登場したのですが、この座席には背を高くして、ヘッドレストを搭載し、足元にフットレスト搭載しています。それに対してレギュラーとなる普通座席もこれに合わせて、背が高くなっているのが特徴です。
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(Kt21003F)確かにその通りで、前半の4つがこうなっております。
続いては、
「エクシード7」⑤:サイト
実は、見るとなると、特に眺望性を重視した窓のサイズに代わったので、多くの人たちをひきつけたのはもちろんですが、この形ではビジネス客のニーズをひきつける役目も果たしたというわけです。
「エクシード7」⑥:サニタリ
ちなみにサニタリ、これはトイレ洗面所のことですが、清潔感を重視して、それぞれの男子トイレと和式、様式を組み合わせ、清潔感を演出したのですが、これも後々改造されていきます。
「エクシード7」⑦:サービス
最後の「エクシード」ですが、この部分は、オーディオとラジオ放送を同時に、使うという形を取っているというわけです。このシステムはテープ式で、もう一つはラジオ放送だったというわけです。
このような形で、私21000系は3編成デビューしたのですよ。

実は、この3編成には特徴があり、名古屋側のモ21500型、モ21600型はデラックスシートとなっておりました。
さて、その3編成で運用を開始した21000系アーバンライナー甲特急は、デビュー当初の昭和63年のダイヤでは、大阪難波駅を午前7,8,9時台と午後2,3,4時台に出発便を担当、名古屋駅を午前10,11,午後12時台と午後6,7,8時台の甲特急で運用すると同時に、空いた時間を埋めるために、12200系から12600系までの担当車両を120キロに対応する工事を実施しました。
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(Kt12602F)あくまで、これは臨時措置といえましたが、これをきっかけに全車両が最高時速120キロになっていき、僕たちもいろいろと心臓部分の手術をするなどいろいろと行っておりましたよ。

まあ、多くは制御機器の容量増設や、ブレーキの変更などでした。これによって、体力を強化していくというわけです。
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(Kt12602F)まあ、これも21000君のおかげかな。
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(Kt21003F)ありがとうございます。

まあ、そういうわけで、ついに平成2年、つまり90年代に突入していきます。その時はバブル経済が下がり気味の状況のころでした。その時に、近鉄首脳陣がとった行動とは、それについて次回「17」でお話しします。それでは。

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