近鉄団体車両撮影ツアー 19

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近鉄団体車両撮影ツアー」の第19回になります。さて、19回まで話を続けてきましたが、解説は、そろそろ平成一桁台か10年に入るところです。
さて、肝心の撮影はというと、私と500T氏の二人での撮影も、佳境に入ってきました。まあ、後1時間ほどでしょうか。ということで、解説に入ります。
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22000系と23000系の登場以後、2世代目の特急車両と、3世代目の特急車両の設備の差が浮き彫りとなり、現役で活躍していた車両たちの設備面の差で、ほかの車両に水準を合わせる工事を行うことになりました。
その中で、一番差が激しかったのが、
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登場から25年余りが経過していた12200系でした。この車両は、昭和60年に一旦、車両の更新がなされていた系列もあり、ややこしくなるのですが、平成に入ってから、22000系と同様の車内工事が開始されていきます。
平成2(1990)年から、改造が開始されたグループが第2世代に準じたグループは、昭和60年に更新したグループを含めて、合計で33編成が存在しておりました。ちなみに、前面は、今画像として掲載した車両と同様の外観です。
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しかし、第2世代の車両の改造を行っていた編成を除いた後期製造の編成は、改造工事を行うのに時間がかかっており、その差が目立つようになってきたのです。
当時含まれていた編成の一部に、後年乗った私は、以前どんな姿だったのかを、画像でもあまり見たことがなく、第2世代でかろうじてビスタカーに乗った時の車内をイメージして、乗り込んでみてその違いに驚いたことを記憶しております。
私も驚いた12200系の編成の変化、それは平成5(1993)年から平成7(1995)年にかけて改造されたタイプに属した編成です。
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今までの2パターンの改造と大きく異なるのが、内装カラーリングの変更、赤色を基調としていたシートカラーの、ワインレッドなどを含めた色への変更等となります。
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しかし、「伊勢志摩ライナー」の登場に関しての影響は、12200系だけにとどまりませんでした。それは、
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30000系ビスタカーでした。この車両も多くの変更がなされていきます。改造要点は主に3点、1点目は柔軟な運用ができるということ。2点目は人々に新鮮さを持たせること、3点目は、眺望性の重視ということになりました。
そして、合言葉といえるのが「ビスタカーの魅力の再発見」というものであり、平成8(1996)年から順次、改造工事に入ります。再び、その雄姿を見せたとき、近鉄特急史上では、最も豪華な、改造内容といえる車両に変貌したのです。
イメージ 7それが、何度もご紹介しているこの画像、30000系ビスタカー改め、標準軌規格汎用特急専用車両アコモデーション改修2型改30000系ビスタEXです。
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(Kt30208F)実は、私が後輩の影響で、ドレスアップをするというのは、少し不思議な感覚でした。実際に今までの色も気に入っていたのですが、これでは、古風な部分がにじみ出てしまい。お客様からは、不評を買う始末となっていました。

確かに以前の色が、私には「ビスタカー」という気がして似合っていたように思えます。しかし、近鉄首脳陣の判断は、いわゆる「着せ替え」とたとえてもいいほどの改造となるわけです。
まず、全体の印象が大きく変わるカラーリングは、近鉄オレンジを含めた4つの色で構成し、近鉄ダークブルーと近鉄オレンジを基本カラーとしながらも、床下機器を、ネイビーブルーに近いグレーに、アクセントに、白色の帯を追加して、その印象を変更させると同時に、正面の右側にロゴマークの「ビスタEX」を英文字で敷設しております。
また、正面方向幕も丸ごと改造して、行先表示だけにし、パンタグラフは重連も想定して、先頭車前面部分のパンタグラフを1基ずつ減らした形となり、連結しやすくなっていたのです。
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実は、「ビスタカー」時代の30000系は、パンタグラフが、先頭車両にそれぞれ2期ずつついていたことから、重連は不可能どころか、モ30250型に連結できる車両が限られていたために、モ30200型だけに車両が連結できる12000系、12200系、12400系、22000系といった車両に制約されてしまったことの反省があります。

そのために、パンタグラフを1基だけにして、連結しやすくしたのもこういった事情があったということにほかなりません。
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(Kt30208F)確かに、そのおかげで、大阪・京都駅始発伊勢志摩特急が復活したのも、この改造があってのおかげだし、これによって30000系同志の連結も実現しました。そうそう忘れてはならないのが、中間車両の大改造でした。これは、30000系の中では前代未聞の大掛かりな改造工事だったからです。

それが、上半分の車体を増設したうえで作り直し、眺望性を高めた構造に変更したということから、中間車両全体のイメージが大きく変化しています。
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前の画像と比べてみて、お分かりのように、数センチほど屋根が高くなっている点です。ここには、電線を張り巡らせるカバーが内蔵されており、これを介して効率よく電気を下の床下制御機器に送り込むという工夫がなされておりました。
また、床下のかさ上げによって、眺望性を上げる工夫もされております。これで、今までのダブルデッカー方式に、さらにハイデッカーデザインが加えられたことによって、「ビスタカー」からの脱皮を図ったわけです。
昭和53(1978)年以来活躍を続けていた「ビスタカー」は、最新の「伊勢志摩ライナー」などとともに、伊勢路を駆け抜けるエースから、ベテランに転じて、後に生まれる「しまかぜ」君の下地を作り上げていくことになります。

そんな中、平成7(1995)年1月17日、神戸に震度7の揺れが襲った地震で在阪私鉄大手5社のうち、2社が大打撃をこうむった阪神大震災が発生したのもこのころでした。近鉄では阪神大震災の影響を受けはしたのですが、被害は軽くて済みます。そのころに、西の方の阪神電鉄から直通運転が14年後に実現しようとは、その時の近鉄首脳陣はおろか、近鉄の車両たちにもまだわからないことでした。

そして、平成10年代に突入するさなか、一般車両では、
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初のデュアルシート採用車両となる5800系が登場し、世間の注目を集めます。結果的には、LCカーとして通勤車両の先頭を引っ張っていた5800系、そして大阪線の一部路線改良でスピードアップが可能となったのですが、この後、近鉄は少し低迷する時代に入っていきます。
その中で、近鉄線の威信をかけたビジネス特急として、「アーバンライナー」の後継車両となる車両を登場させるのですが…。

次回「20」回は、名阪甲特急の次世代車両の話をして行きます。
それでは。

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