1号車増結:大暴動香港!

さて、本日の話題の2本目は、その前に、国際情勢で少し気になることが起こっていることから、その話をここで取り上げてみます。「歴史もの」からの記事です。お付き合いください。

実は、国際ニュースをにぎわせている出来事が、アジアの金融センター香港で発生している暴動です。そもそも歴史で振り返ってみると、香港の地域は、日本でいうと天保10(1840)年に、第1次アヘン戦争で漁村から植民地化され、現在の金融センターとしての地位を獲得します。

ここで押さえておきたいのは、その返還交渉についてです。時は、英国ではサッチャー政権が担当していた昭和57(1982)年、イギリスと中華人民共和国政府との間で、返還交渉に関しての下地、つまり、サッチャー首相自らが、中国の首都北京に乗り込んで、帰属権交渉を開始したことに始まります。
実は、当時のサッチャー首相は、香港をイギリス統治下においたままにしておくのが良いと考えていたようですが、中国の指導者だった鄧小平氏は、この考えに得心がいかないとして、
「もし、最後まで、その主張を押し通すなら、武力衝突による生活インフラの停止もありうる」
と述べるなど、態度を硬化するほど、厳しいやり取りが交わされたそうです。2年後の昭和59(1984)年、ようやく『香港返還協定』が締結された後。平成9(1997)年に返還が実現し、1国2制度の原則を以て、香港行政区が設けられるという解決が図られました。

焦点となっているが、この行政区のトップを、アメリカの大統領や、日本の都道府県知事のように、一般市民による直接選挙で行おうという試みです。なお、香港返還協定』では、返還から50年の間は、民主的な政治を行うべきだという考え方ですが、今回の改正条項では、民主化を求める政治団体からは、「直接投票による指名」が大事であると主張しており、中国を非難する動きが活発化しているといっても過言ではないようです。
ちなみに、習主席の率いる中華人民共和国政権では、腐敗撲滅という問題や、ウィグルの問題も抱えており、この香港暴動はまさに、一難増えたという事態だといえます。

ただ、もともと反故にしてしまった人民との約束を、元に戻すにも、反体制派勢力を抑え込むにも、痛みが伴うという中華人民共和国の実態。共産党政権はこの事態にどう対処するのか、それも、痛みを伴うものなのか、それが今後のカギです。

ということで、増補版を終わります。