近鉄鉄道祭り’14 ヒストリー ゴー アンド 五位堂号 10

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「近鉄鉄道祭り’14 ヒストリー ゴー アンド 五位堂号」の第10回です。
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さて、私と500T氏は、撮影中。
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バシバシ撮っております。

さて、ここで閑話休題として、この五位堂会場のことをお話ししていきます。実は、この五位堂駅のすぐ隣にあるこの五位堂検査車庫は、私の生まれた昭和57(1982)年に工場として稼働し、私と同じ設置32年目の検査センターです。
ここに所属している車両で、一番面白い形で運ばれてくるのは、修理工所の中にいた。
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南大阪線専用車両と、
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東大阪の車両を輸送するときに関してです。実は両車両とも、そのままでは走行はできません。その理由を、南大阪線の車両を例に見ていきます。
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まず、南大阪線系列(吉野線を含む大阪阿部野橋起点路線)の車両の線路幅は、旧鉄道法で定められた、1067mm狭軌軌道を採用していました。これは、近鉄の大本をたどれば、そこに行きあたります。
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一方、奈良、大阪線など(主に伊賀、養老鉄道とナロー線区を除く全路線)は標準軌の1435mmが採用されています。これは、関西初路面電車からの民間私鉄である阪急電鉄でも採用された線路幅で、こちらは旧軌道法からのものとされておりました。
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資本自体が異なる会社同士が敷いた路線を、国の命令によって強制合併させられたことから、軌道法と鉄道法の両方が適用された珍しい鉄道会社が誕生したわけで、それが、この「近畿日本鉄道」だったということだけなのです。
そのために、南大阪線は独自車両を製作することになったわけです。
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その傑作こそが、「ラビットカー」こと6800系といった近鉄通勤車両でした。
ただ、考えてみれば一部を標準軌にすることも可能だったのかもしれません。しかも吉野という観光地を抱えているのだとしたらなおさらで、昭和40年に観光特急を走らせているのも、観光地として発展させるという目的があったから、という考えに基づきます。
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しかし、それを行うほど、当時は余裕はなかったということが考えられます。最大の理由は3点あり、1点目は、名古屋と伊勢を結ぶ名古屋線の台風被害からの復興と、改軌工事を行った代償が大きかったこと、2点目は、京都線の買収合戦により改軌にかかる資金が捻出できたのかという点、そして、一番大きかったのが、東海道新幹線の開業。ということになります。
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まず、名古屋線の話は、近鉄ファンのお方ならお判りかもしれませんが、1067mmの狭軌でした。
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ところが、その運命といえるのが、昭和34年10月に上陸した伊勢湾台風でした。これは、わずか1か月で改軌を完了したのですが、この復旧作業によって出費をしたということになるのですが、それを名阪直通特急などで回収できたというわけでした。ところが、その5年もの間は何とかできたのですが、5年後の東海道新幹線開業で、暗転します。
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結局、名阪甲特急は3両ないし、2両での運転となり、16年もの低明期に入るというわけです。このために、特急列車として、長距離都市間列車の需要の低迷と同時に、観光特急での運用を余儀なくされます。

ということで、次回も「近鉄鉄道祭り’14 ヒストリー ゴー アンド 五位堂号 11」に移ることにします。