新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 01 「日本の現代」以前の攻防戦

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」ではなく「歴史もの」からの記事です。よろしくお願いします。

昨年7月1日、重要な答弁が国会内を駆け巡りました。この日、「日本国は『日本国憲法』が規定する第9条(戦争の放棄と軍隊などの放棄を規定した条文)に基づいて、今まで集団的自衛権が行使できないとされてきたが、今後は、この解釈を変更して集団的自衛権を行使できるに、改める」という閣議決定がなされたのです。

今回は、改めて『日本国憲法』の成立前からの状況を、『日本の現代―平和と民主主義―』と呼ばれる論文とWikipediaから紐解きます。
明治維新以降の日本は、明治元(1868)年の「王政復古」クーデターをてこに、2年にわたった「戊辰戦争」で、新国家への道を開き、明治10(1877)年前後の不平士族の反乱と、テロ事件において、近代国家への脱皮を図ろうとしました。
これを『坂の上の雲』の著作で知られる司馬遼太郎氏は、次のように、評しております。
「少年のような国、楽天的な雰囲気がある」
と、それと似たような状態から出発したのが、昭和20(1945)年でした。ところで、明治維新を成し遂げた日本が進んだ道は、「富国強兵」と「脱亜入欧」と呼ばれる国家スローガンをもとに、ヨーロッパに接近していく(これが入欧)、そのうえで、アジアで認められる(これが脱亜)ということを成し遂げるため、植民地の支配にかじを切るという政策を打ち出していきます。
その中で、アジアの国々との軋轢を生んだことになります。
史実から見ると、それは、後の太平洋戦争を予兆していた事につながります。
昭和20年9月3日、アメリカ製の軍艦「ミズーリ」の甲板で、調印された「ポツダム宣言」降伏文書調印式以降、内閣が台替わりしていく中で、昭和20年10月13日に、幣原喜重郎内閣の国務大臣として松本烝治氏を任命して、「天皇主権」といわれていた「大日本帝国憲法」改正案の取りまとめを指示します。

国家憲法の改正に、アメリカの側に立って関わったのが、ここに掲示した画像の右から2番目に、後ろで手を組んだ人物、ダグラス・マッカーサー氏です。
実は、アメリカの当初の目標は、直接統治による日本の属国化という考え方でした。しかし、現実はアメリカの予想よりも早く、日本が降伏したことから間接統治の形を取らなければ、運営できないということを悟ったとされているからです。
だからといって、「大日本帝国憲法」の改正にはかかわることができないはずでした。ところが、日本国内では、「大日本帝国憲法」の改正に消極的な、政治家が多いという実態があったといわれております。
そこで、マッカーサー氏が訪ねたのが、かつて大日本帝国の首相を務めた近衛文麿氏で、近衛氏もこの会談をきっかけとして、憲法改正への道を歩もうとしたといわれております。

ところが、その中身は、小手先をいじった程度のものであったために、世界の世論を味方につけることができない、この背景が、アメリカの側の見方となっていた訳です。結果的に、GHQ(連合国軍総司令部{General Head of Quarterの略称})が草記していた案が採用される結果をもたらします。
実は、後にこれが、「押しつけ憲法」を主張する保守派の根拠ですが、それが本当かどうか、その後の話から考えていきます。

実際に、「日本国憲法」が公布されたのが、昭和22(1947)年11月3日、現在の「文化の日」に当たる日にちで、施行が昭和23(1948)年5月3日です。現在は「憲法記念日」として祝日となっておりますが、私たちは、この憲法が、「戦争放棄」をしているという解釈がされていないという人に、耳を傾けるでしょうか。
答えは「ノー」、そうだと思っていないということです。「戦争放棄」という言葉が、自分たちを守るための「戦争」を同時に放棄したと解釈されていたからです。私も同じ様に考えていました。しかし、憲法での条文解釈は、「自衛戦争」は含まれているのではないという意味であり、「生きるための防衛は許可します」ということだったわけです。

それでは、最初の文言に戻ってみると…。「日本国は『日本国憲法』が規定する第9条(戦争の放棄と軍隊などの放棄を規定した条文)に基づいて、今まで集団的自衛権が行使できないとされてきたが、今後は、この解釈を変更して集団的自衛権を行使できるに、改める」というのはどういうことなのでしょうか。
つまり、「自衛戦争」に関しても「集団的自衛権」に含める上で、ほかの同盟国が窮地に陥った時、つまり、アメリカが窮地に陥った場合は、同じ同盟国とともに、救援活動を行う、これも認めようという流れになっていくと言うことを意味します。
これは、比較的早くから検討されていたのです。
それについて、次回から、お話ししていこうと考えております。ちなみに、私は、日本の国家だけでなく、国民を守る時に取った措置とは考えにくく、国家の存続のための措置とは考えきれない部分があると考えられます。

ということで、次回から、そのターニングポイントがどこにあるのかということを、見ていきたいと思います。それでは。次回をお楽しみに。
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