新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 03-10 「安保と憲法で揺れた時代」

本日の話題の2本目は、「歴史もの」から新シリーズの通算13回、鳩山一郎内閣が取り組んだ「憲法改正」についてお話しします。保守合同をなした後の、初代自由民主党内閣となりました。

昭和30(1955)年、鳩山一郎氏が3月30日に、このような答弁を行っております。
抜粋したところを掲載します。
「憲法を改正したいという希望は今でももっている。現在の憲法は占領中できたものである。占領中にできた憲法は無効だとしている国もあるので、日本国の憲法も実質的には無効だと思う。いかなる点を改正するかといえばまず第九条で、これは日本の国を守るためにはどうしても軍隊を持たねばならぬからである。そのほかにも改正を必要とする点があるが憲法審議会を作って検討したい。最近自由党内部(昭和30年3月当時は自由民主党はなく、自由民主党が結党するのは年末も近づいた11月にずれ込みます)でもこの審議会を作ったらとの意見があるので、この審議機関もできるだろうと思う。こういう方法によって平和憲法擁護といった見当はずれの運動を防衛したい。」(昭和30年3月30日付朝日新聞朝刊より『現憲法本質的に無効』)
これを掲載した理由は、今の安倍晋三氏の率いる内閣の考え方の根拠ととも考えることができます。実際に、このような考え方は戦後のGHQによって公職追放された政治家の考え方そのものだったわけです。
その対象となっていた人物が、この鳩山一郎氏その人だったということも、偶然とは言えませんが、「占領憲法=無効」で、「自主憲法制定=憲法改正」という流れを作ろうとしたと考えられます。

しかし、憲法調査会の設置などに付いては、この年に「憲法調査会法」が可決されましたのですが、現在の政治でおなじみの小選挙区制は導入できないまま否決されます。
しかし、それから41年後の平成8(1996)年の橋本内閣から導入されるのですが、導入に積極的に動いた理由を考えると、何か、それは先ほどの「憲法改正」と関係しております。

小選挙区は、一人の候補を選ぶということを最低条件としているのですが、これは自由民主党などの大政党に有利とされており、「憲法改正」を行ううえで有利になると考えていたからです。
では、鳩山一郎内閣が導入できなかったのか、それが問題となりますよね。問題としては、多くありますが、主にあげるとすると2つ、一つは先ほど説明した大政党に有利であること。二つ目は、選挙区の区割りがいびつであり恣意的である、これは、選挙区を意図的に区分けできるということを意味しております。
こういった事情もあって野党の社会党及び、自民党内からも異論が出ていったわけです。そのために、小選挙区の導入は見送られ、中選挙区制の導入によって、「憲法改正」ができないということも意味しているわけでした。

しかし、この流れが、自民党の中でくすぶり続けます。それが昭和35(1960)年の「安保闘争」の事態など、これからの日本国のターニングポイントとなる可能性が出てきてしまったのです。

さて、次回「03-11」では、ついに国際舞台復帰となる「国際連合加盟」について、お話しします。それでは、次回をお楽しみに。