新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 04-1 「安保と憲法で揺れた時代(安保闘争編)」

本日の話題の2本目は、「歴史もの」から新シリーズの15回、本日からは第4編、「安保闘争問題」に関しての特集となります。

本日の朝日新聞の書籍宣伝欄に、今回のタイトルの紹介欄がありました。それが『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』と呼ばれる作品だそうです。なぜ、この話を枕(落語用語ですが始まりを意味します)として出したのか、今回からご紹介していく人物が、安倍晋三氏の祖父、岸信介氏です。

岸信介氏が内閣総理大臣任命されたのが、昭和32年になってからのこと、石橋湛山内閣の内閣総理大臣だった、石橋湛山氏本人が病で倒れたことを機に、内閣を引き継いで就任したことが始まりでした。

さて、この岸信介氏は、戦後初期にA級戦犯されたのですが、不起訴処分となっておりました。その後、昭和20年以降の米ソ対立による冷戦、それによる日本の立ち位置の変化があり、釈放されて政界に復帰しておりました。これは「03-8」で触れたのですが、詳しいことについて、少し述べていきます。
岸信介氏が戦犯として不起訴処分を言い渡されたものの、公職復帰は、GHQから「不可」と言い渡されており(当時の軍国主義及び、それに近い政治家は同じ処分を受けています)、公の活動ができない時代で、鳩山一郎氏もこの中に含まれておりました。
「03-8」では、時期があいまいになっていた部分がありますが、昭和27(1952)年の「サンフランシスコ平和条約」の発効により、公職追放が解除されていました。早速復帰後、自由民主党に参加、この直後に石橋湛山内閣の外相として、石橋湛山内閣を支える立場でした。
ところが、本人の体調不良で、内閣総理大臣を辞任することになってしまい。閣僚を丸ごと引き継ぎ、政権を運営することになっていきました。

この当時の日本は、昭和31年度の経済白書で「もはや戦後ではない」という言葉が流行るほど、戦後復興の成長時代は終わったという指摘をしており、また、昭和30年から続く高度経済成長期の発火点となった「神武景気」の好調な出だしが、背景にありました。そんな環境下で成立したのが岸信介氏を首班とする内閣だったわけです。

その外交政策に関しては、徹底的な反共産、反中国とともに、親密な同盟国アメリカ合衆国との連携強化を掲げておりました。実は、この外交は安倍内閣でも、形を変えて受け継がれているわけですが、大きく違うのが、冷戦構造の昭和30年代と、現在の大きな違いです。

岸信介氏が首相に就任した当初、石橋湛山内閣の遺志を継ぎ、1000億円の減税と、初の東南アジア諸国訪問を行っております。これは、今の安倍首相の「地球儀を俯瞰する外交」の下地だったかもしれないと、私は考えてしまいますし、いわゆる対中華人民共和国包囲網という位置づけがあったという考え方も出ると思います。

こうしてあげていくと、現政権との共通点が見える岸信介内閣、次回「04-2」では保守合同後に成立した「自民党」対、革新合同で成立した「社会党」との対立から、今の時代につながる「安保闘争問題」へ至る道がどうだったのかを検証します。

お楽しみに。