新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 04-2「安保と憲法で揺れた時代(安保闘争編)」

本日の話題の2本目は、「歴史もの」から新シリーズの第16回です。実際に岸信介氏が首班となった内閣総理大臣となった後、どういうことが起こっていたのかをお話ししていきます。

昭和32年2月に内閣総理大臣に就任後、取り組んだのが3点ありました。1点目は、「教員の勤務評定」に関しての法律、2点目は「警察官職務執行法改正案」、3点目は「安保条約」ですが、3点目は詳しく述べるとして、先に2点をご紹介しておきましょう。
まず、「教員の勤務評定」についての話ですが、先に昭和31年11月、愛媛県が「教員の勤務評定」を実施を決定したことから始まった「成績主義」名目による昇給の差別が、翌昭和32年4月から始まった経緯を受けて、内閣が提出した法案が翌昭和33年度から全国一斉に「教員の勤務評定」を実施するという方針を決定します。ところが、これに反発したのが、日教組こと日本教職員組合です。これを『(1945~1969年)資料 戦後教育労働運動史』から抜粋してみます。
この資料が述べる、部分の一部から、抜き出してみます。
「権力による教育統制が、型にはまった人間をつくりあげ、国民全体を不幸におとしいれるものであることは、われわれがあの悲惨な戦争をとおして、骨身に徹するまで思い知らされたことであった(原文)。」
という出だしで、戦時中の教育などの反省に立つものとし、このような批判をしています。
「しかし、戦後十年をへたこんにち、日本の教育は、再び重大な局面にたたされている。世論を全く無視して強行された任命教育委員会の発足は、政府がほしいまま教育を統制し、政党の教育支配に道を開くものだった。(原文)」
と政府の介入を批判しておりました。

一方、「警職法の改正案」についてですが、そもそも「警職法」とは何ぞやとお聞きになる方もいるかもしれません。
そこから紐解きます。「警職法」の正式名称は「警察官職務執行法」という名称で、警察法に規定する「個人の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防、公安の維持並びに他の法令の執行等の職権職務を忠実に遂行するために、必要な手段を定めることを目的とする」法律(同法1条1項)に当たります。警察の責務を達成するための手段を定めるものとして、警察官の即時強制に関する一般法として昭和23年に制定していた法律でした。

この改正案が、第30回臨時国会に突然提出されたのが発端となり、国会内で大激論が繰り広げられるのです。改正案の内容を簡単に話しますと、警官の臨検・デモの事前中止などの権限拡大を認めるものでした。
しかし、最大の目的は、大衆運動の抑圧と治安強化することにあったわけです。ちなみに、多くの国民はこれを「治安維持法の復活」と危惧しております。結局、婦人団体などが「警職法反対運動」の集会を開き、「デートもできない『警職法』」と揶揄するなど、多大な影響が出てきたわけです。
しかし、考えてみると、今の「警職法」には改正案が盛り込まれませんでした。実際に、国会論戦が始まってしばらくして、与党自民党内からも慎重論が相次ぎ、法案は否決されたのです。
そして、それが「日本最大の大衆デモ」といわれた「安保闘争問題」がこの後起こります。それについて、2回にわたってお話しします。それでは。