新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 04-6 「安保と憲法で揺れた時代(安保闘争編)」

本日の話題の3本目は、「歴史もの」から新シリーズの第20回となります。なんと「安保闘争」は、大混乱の中で思わぬ事態に移っていきます。

昭和35(1960)年の6月、ついに「新安保条約」の成立の時が迫ってきたのですが、ジェイムス・ハガディ大統領補佐官が羽田空港口でデモ隊(一説には10万人)に囲まれて海兵隊所属のヘリで脱出した「ハガチー事件」を契機に、デモ隊を大変なことになっておりました。

そして、自然成立の4日前の6月15日、全国で580万人が、全国の大都市でストライキ、デモに参加し、抗議を示したのですが、警察官などの治安部隊が催涙弾などで応戦、流血が起きる事態となってしまいました。その中で、樺美智子さんがデモ隊との衝突で圧死する事態となります。ちなみに、樺美智子さんが亡くなった時、国交断絶中の中華人民共和国の国家主席毛沢東氏は、「樺美智子は全世界にその名を知られる日本の民族的英雄になった」と述べておりました。
樺美智子さんの横死で、警察庁に対しての非難が集中すると同時に、当時、ラジオで実況中継していた「ラジオ関東(現在RFラジオ日本)」のアナウンサー島碩弥さんの肉声が残っております。

「私の顔を警官隊が殴りましたっ。 ……激しい暴力であります。……警官隊の形相……、……動物としての憎悪だけ……、警官隊のスゴイ暴力です……これが日本現代の情勢です」

これが、日をまたいだ深夜1時半、この状況下で、島さんは警官の警棒によって、顔面を強打され、けがをしております。この時に目と鼻の先で樺美智子さんがなくなっていたことから、この事件を最前線で目撃することになったわけです。

その衝突後も、抗議デモは続きますが、そうした中で6月19日、参議院の議決もできないまま、「新安保条約」が自然成立することとなり、6月23日に批准することで決着を見たのです。

そのために影響が出たのは、アメリカ合衆国の日程についてで、この時点で「岸アイゼンハワー会談」が中止(表向きは延期)という形をとることになってしまいます。それどころか、7月には岸信介首相本人が暗殺未遂に逢ってしまうなど、内閣運営を維持していくのが難しくなり、7月19日に内閣総辞職を岸信介首相は決断するに至るわけです。

この昭和35年はいろいろな意味で、東西が緊張した時代でもあり、前年のキューバ革命以降、隣国の大韓民国では、朴正煕政権誕生のきっかけとなったクーデターが4月に発生。5月には米ソで偵察機(U2型)の撃墜を巡っての問題が起きたりするなど、世界情勢が刻々と変化していった時期でもあったわけでした。
そして、なんといっても、最大の異変はベトナム戦争勃発です。これによりアメリカ合衆国は泥沼化していく戦火に身を投じていくことになります。

こうした中で、岸信介氏は、政治家として冷戦の流れを観つつ、冷戦終結の4年前(ソ連歩崩壊)の昭和62年に世を去ります。また、「安保闘争」を実況中継していた島さんも平成16年に亡くなります。

現在では、日本の戦後史に最も影響を与えた事件としての「安保闘争問題」は、結局国民の意見を無視した形での成立と言う暴挙を残す結果となりました。
それは、憲法の「戦争の惨禍」を起こさないという建前と矛盾していたということを国民が、政府に突き付けた最初の運動でした。

今、現代の私たちも、この意味をどう考えていくのか、現在の「憲法解釈」を含めた改正についての論議で参考になると考えられます。

さて、次回からは「5-1」の東京五輪を含めた、池田隼人内閣に迫ります。ということで、第4編はこれにて終了となります。いかがでしたでしょうか。ご意見をお待ちしております。