新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 05-2 「経済成長と憲法で揺れた時代」

本日の話題の3本目は、「歴史もの」から新シリーズの第23回です。池田勇人氏が内閣総理大臣として、舵取りをになった時代に突入しております。

さて、実際に「所得倍増」と「高度経済成長」を旗印に、政治製作を進めていこうとしておりましたが、その間に問題となったのが、エネルギー革命転換による旧産業への対処でした。
内閣発足と同じ年の昭和35年11月11日、福岡県大牟田市と福岡県荒尾市にまたがる三井三池炭鉱で起こった、「三井三池争議」です。
ここに挙げた画像は、ウィキペディアからお借りしたのですが、この画像でもわかる通り、「三井三池争議」の発端は、三井三池炭鉱で希望退職者を要望した運営側に、労働者側が抗議したことがきっかけで起きたものです。

時間を池田内閣の誕生前に戻して、話を進めます。昭和34(1959)年1月に「三井鉱山株式会社」では希望退職者を募ります。この理由は、翌年のエネルギー革命が起起こると同時に、国内炭鉱が一大打撃を受け、大量のリストラを出さなければならなくなったのです。
ところが、ふたを開けると、炭鉱労働者6000人のリストラを予定していたのが、希望者は1300人。三池炭鉱に至っては、150人しかいないという有様だったのです。
そこで、経営側は困り果てて、指定解雇という強制リストラされる労働者が増加していくことになってしまうのです。これが、昭和34年12月2・3日のことで、その数が1492人と膨大な人数に上ったのです。
実は、その4か月も前になる8月29日に、4580人の人員削減案を提出していて、人員削減の流れは、ほぼ固定化されることになるわけです。さらに、勧告に応じなかった1279人に対しては12月11日付で、強制リストラされることになりましたが…、
労働者側を束ねる日本労働組合総評協会(総評)は、昭和35年1月から10か月にわたる無期限ストライキに突入していきます。

ところが、10か月間の中で3月17日にターニングポイントが待っていました。それが、生活苦を訴えた一部の組合員が、離脱したことから第2組合が設立され離脱し、さらに暴力団組員に、組合が暗殺されるなど様々な事件が起こっていったため、この後の長期戦で、組合側は不利になっていき、10月に一応の決着を見、11月11日に最終的には労働組合側の敗北で、幕を閉じたのです。

それゆえ、エネルギー革命と「所得倍増」、「高度経済成長」というのは切っても切れないものと、彼は考えていたようなのです。その後、大蔵省系列出身の政治家を母体とした政治団体を活用して、「所得倍増」、「高度経済成長」への道を日本は歩んでいきます。

そういうことで、次回の「05-3」では、経済をどのようにして成長させたのか、池田内閣が挑んだ部分に迫っていきます。それでは。

<<<PREVIEW 05-1       NEXT 05-3>>>