新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 05-3 「経済成長と憲法で揺れた時代」

本日の話題の3本目は、「歴史もの」から新シリーズの第24回となっているのですが、池田勇人氏を首班とする内閣が誕生した後、「所得倍増」計画についての話を打ち出したと、「05-1」で説明しました。
今回はそこに切り込みます。

実は、国民総生産の実質的な上昇を目的とした勉強会が発足したのですが、実質所得が2倍になるという発想は、もともと、イギリスが出していた試算をもとに、日本に取り入れ実施した政策で、この計算だと25年で所得は、25年前の2倍に達すると結論付けられておりました。
その言葉を表したのが、中山伊知郎氏の「読売新聞」昭和34年1月3日朝刊付けの「賃金2倍ー生産伸ばせば夢ではないー」ということになるわけです(『中山伊知郎全集』第16集収録 昭和47年講談社発刊)。

彼が提唱しているのは、賃金を上昇させて、それによって国民を豊かにし、それを国が主導して行うことが求められると結論付けております。
そのために、アメリカ合衆国の「経済開発委員会」を例に挙げて、そのようなことが日本にできなわけがないと述べています。
この論文をもとに、大蔵大臣だった池田勇人氏は、政策への方向転換を急ごうとしたのですが、岸信介内閣時代に提唱された論文は、岸内閣の倒閣で実現しないかに見えました。その後継を託された池田勇人氏はこれを、政策として具体化させ昭和35年12月27日に「国民所得倍増計画」を閣議決定します。その政策の内容は、『国民所得倍増計画』という冊子にまとめられております。
この計画は、代表的なものとして2つ上げられます。一つは、雇用増大と国民生活の向上、二つ目は年あたりの成長比率を9パーセントとして、今後10年以内に26兆円(昭和33年価格)の国民総生産を実現させることです。
一つ目は、雇用拡大を前提とした国民生活を豊かにしていくことが目標とされておりました。二つ目のほうは、年率の成長率を9パーセントという目標に合わせ、昭和35年当時の13兆6000億円の国内総生産の規模を、10年後には2倍に増やすということを意味します。
実際に、岸信介内閣が計画していた「新長期経済計画」が試算していたのが13兆6000億円という数字で、この規模を2倍に拡大するためには、年率で9パーセントの経済成長率が必要になるという試算を打ち立てていたというわけです。
この計画をもとに、昭和36年度予算を成立させて以降、年率成長率がどうなっていったのかといいますと、当初の平均成長率は7.2パーセントでしたが、3か月後には9パーセントと計画目標を達成し、昭和41年には所得倍増を実現するなど、この5年もの短期間で達成することに成功したのです。
ただ、この急速な成長は「奇跡」とたたえる反面、公害、インフレといったマイナスの面も露呈させる結果となっていきました。

これを、計画始動から2年後に雑誌『朝日ジャーナル』の昭和38年3月31日号でこういう風に書いております。途中から抜き出してみると、面白い表現が書かれてあります。

わざわざかを繁殖させておいて蚊取り線香を売る社会は、蚊を発生させない予防措置をとる社会よりも、国民所得の数字がかえって大きくなるというようなもので、かつて笠信太郎氏は、この点を、「花見酒の経済」と揶揄して、痛烈に批判しております。

つまり、だまされていることに気づかなくていいのかということを、非難していることにほかなりません。これは、今にも通じることではないでしょうか。ということで、次回の「05-4」では、海外の事情との関連についてお話ししていきます。それでは。