新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 06-5「和平交渉と憲法で揺れた時代」

本日の話題の2本目は、「歴史もの」から「新シリーズ」の通算第31回です。昨週は、体調不良による風邪で、休んでしまいました。さて、復帰と合わせてのこの回は、「日韓基本条約」からの「漢江の奇跡」について、横道にそれてしまいますが、お付き合いください。

さて、「日韓基本条約」こと「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」では、「独立祝賀金」と「発展途上国支援」という形で、合計8億ドル(無償3億、有償2億、民間借款3億)の融資で妥協したところまで、お話ししました。しかし、個人賠償問題や、後に発覚する「従軍慰安婦問題」については、これ以上追及しないという観点から、賠償請求の権利自体を放棄するという形になってしまったわけです。

そのために、当時としては、3億ドル相当の生産物及び役務(無償)と、2億ドル(円有償金)、そして、3億ドル以上(民間借款)を充てるという内容になっておりました。
ここで、一つ疑問が出てきますが、実は民間借款は3億と明記しておき、合計8億ドルと書いておりましたが、実際には11億ドルを拠出したというわけです。
そういった形で、作られたのがこの写真の道路、「京釜高速道路」などに変わり、その経済発展は、ソウル市内を流れる「漢江」を取って「漢江の奇跡」と呼ばれるようになりました。

さて、そう考えると変なのですが、大韓民国政府の国家予算は、当時推計で3.5億ドル、この11億ドルは3年分に相当するものです。が、当時の大韓民国国民はこの条約締結に、拒否反応を示していました。それもそのはず、「個人賠償」というのがなかったからというのもありますが、大韓民国国民以外にも、日本国民の一部でも反対運動が巻き起こっていたのです。これはなぜなのか。
理由としてあげられるのは2つ、一つは大韓民国側の問題です。締結当時は、戦争からわずか20年しか経っていない時期であり、「朝鮮動乱」と呼ばれた、「朝鮮戦争」から12年しかたっておらず、日本に対しての感情が悪かったこと(ちなみに良くなったのはごく最近の話)、これが大韓民国側が抱えていた背景でした。
もう一つは、日本の反対勢力にあった背景です。当時の「日本社会党」並びに「日本共産党」が朝鮮民主主義人民共和国政府を支援していたという背景があり、大韓民国と同時に朝鮮民主主義人民共和国とも講和するべきだという考え方を、両党は主張していたというわけです。

大韓民国国会は昭和40(1965)年8月14日に、条約内容を可決。日本の国会では、衆参両院の委員会で可決成立する運びとなりましたが、大韓民国国内では混乱が起こり抗議デモが続出することになります。
この時に逮捕された人物の中には、後に大統領となる李明博氏も含まれておりました。では、この「反対」した理由とは何かと申しますと、一つ目が「李承晩ライン」の撤回など、かなり譲歩した韓国政府に対する姿勢です。ところが、この後の経済成長を考えると、この批判は感情的なものというふうに映るといえるかもしれません。

しかし、その後、日韓の問題は、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」締結以降もぎくしゃくしていきます。特に近年問題となってきたのが「従軍慰安婦問題」です。しかし、この問題は、朝日新聞社の誤報問題によって、大きな展開を見せております。
また、今でも問題となっているこの話ですが、実を言えば感情的な問題といっても過言ではなく、私たち、日本国民も冷静な判断が求められるというわけです。ただ、大韓民国国民は冷静になり切れていないという考え方があるのも事実です。

それで、現在の大韓民国国民が、日本に対して謝罪を求めるのか、理由を考えると、3つ上げられます。一つは、前回の話でも延々と述べてきたのですが、アメリカ合衆国に対して、戦勝国として扱うことの要求に対しての失敗。2つ目は、その間に起こった朝鮮民主主義人民共和国との戦争による国土の荒廃と、経済復興への立て直しが急務だったこと。3つ目は、日本の感情的な背景、一部に劣等国としてみるという背景があること。3つ目は、日本にも言えることですが、実は、大韓民国蔑視が昔からあるといわれておりました。それは150年も前のことです。それを考えてみると、日本とて、人のことを言えないということになってしまいます。

自分を顧みて、人を見るべしという考え方が一つあるといえるのかもしれません。
これが、日本国民にかけていることかもしれませんが…。
さて、次週は「小笠原返還問題」が焦点となる「06-6」へと向かいましょう。それでは。