名列車列伝特集 01-7「戦争を潜り抜けても、新幹線ができても復活した名特急! 中編6」

(N)皆様こんばんわ。本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「名列車列伝」の「01-7」、第7回です。今回は「何が何でも、仕事がほしい!」がテーマです。
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(Kt1641F)い、いきなり、何というサブタイトル!
(N)いやいや、今回は特急「つばめ」さんの昭和47年からの話がメインになるのよ。
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(Kt1641F)しかし、…(^^;、それでは、今回の「名列車列伝」ではなく「迷列車列伝」になってしまいますよ。
(N)それは、本人に聞いてみましょう。
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(クハ481型)さて、私が登場してから早くも6年後、昭和45年10月のダイヤ改正で、583系君からバトンを受けた私は、名古屋駅と熊本駅を結ぶ特急「つばめ」の運用に復帰しました。
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(クハ581型)これが起こった理由は、当時の寝台特急運用が5往復あったことや、私たちの運用体制に問題が出たことが理由だったわけです。
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(Kt1641F)なぜです?
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(クハ481型)583系君は寝台特急と昼行特急が兼用できるタイプでしたが、ほかにも北陸線特急の運用も抱えていて、その上に大阪口の山陽特急まで任されたとあったら、体が持たないでしょう。
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(Kt1641F)いやいや、それだったら485系さんとて立場は同じはず。
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(クハ581型)1641編成君の指摘もあっているが、そもそも、電車寝台は需要が低かった。私の系統は、合計4系統6往復、新大阪駅と博多駅を結ぶ「月光(のちに明星に統合)」と、新大阪駅と熊本駅を結ぶ「明星」を2往復ずつ受持ち、その上に、新設したのが京都駅から、現在の鹿児島中央駅を結ぶ「きりしま」、これはのちに「なは」となって、大阪口最後の西行ブルトレとなる系列として有名になってくる。それが1往復。そして、名古屋駅と博多駅を結ぶ「金星」が1往復という具合。それに昼行特急は、改正前が「はと」2往復と「つばめ」で合計3往復を受け持っていたが、先ほどの系統に、3往復付け足して9往復を受け持ってしまうと、さすがに体を酷使しすぎになってしまう。そこで、最長距離となる「つばめ」を485系さんに譲った代わりに、新大阪駅と下関駅を結ぶ「しおじ」の1往復を担当するようにという話を、大阪鉄道管理局からもらったというわけだよ。
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(Kt1641F)そういう裏話が…。「しおじ」って、リバイバルで485系さんが運転した列車ですよね?
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(クハ481型)それも、私たちの量産機が生まれてきたことも背景にあって、その子たちは200番、300番と名乗っておりました。
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(Kt1641F)えっ?
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(クハ481型【200】)僕たちが、その運用につくのは、2年後で、その間は、先輩のマイナーチェンジ型が活躍していたのですよ。それにしても「はと」マークがほしい。
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(クハ581型)さっき、さらっと愚痴らなかったか? ま、それはともかく、そういうような状況だったわけで、私が「つばめ」運用から撤退して2年後に、再登板を上から頼まれたわけだよ。
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(Kt1641F)すぐに、カムバックを要請したのですか…。またどうして?
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(クハ481型【200】)それが、新幹線の開業が影響していたわけだよ。この当時は、そういうこともあって485系の増備が始まったと、そういう話になったわけ。
(N)確かに、485系のイメージが大幅に変わったのは、昭和47年登場の200番、そして昭和49年から登場した300番によって変化が加わったことになるのですが、側面表記には「熊本」の表記自体も見えないし、登場時のスタイルにするのだったら「はと」「日向」「なは」といった面々のみならず、文字ヘッドマークの「やまびこ」といった東北特急や、「いなほ」といった日本海縦断線を走った列車たちも文字のみの再現しなければならなくなってきますよ。
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(Kt1641F)確かに、難しさはわかりましたが、新幹線の開通がそこまで影響していたのですね。
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(クハ581型)まあ、そういうことも織り込み済みでないとこういう計画は立てられなかったわけだし。ただ、鹿児島中央駅にはいくことはかなわずでしたから。
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(クハ481型)しかも、運用に変化はなかったものの、この比率が変わるのに時間がかからなかったのよ。
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(Kt1641F)何が、どうなっているのやら(・・?
(N)この九州方面に直通する特急として、「つばめ」が新大阪駅と博多駅を往復していた時に、使用されていた車両を覚えている?
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(Kt1641F)とんでもない列車だということは、聞いておりましたが…。
(N)その車両が、そのあとも、山陽本線線内を走る特急として、細々と運用していたわけ。
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(クハ481型【200】)その車両も、運用上の都合でやりくりがつきにくくなり、「とき」の増結用。「あずさ」の増発用として山陽方面を去ることになってしまったわけです。実は、昭和39年に大阪口運用で始めたときは、151系を名乗っておりましたが、広島セノハチと呼ばれる峠を越えられなかった課題を克服するために、電動機の出力アップを行って、181系に名前を改めておりました。
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(Kt1641F)そうですか。それで、485系さんと583系さんによって運用されるようになったのですか?
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(クハ481型)それには、まだ2年の猶予が必要だったわけで、日豊本線も、この時はまだ大分駅までしか電化は進んでいないこともあり、列車はその先まで行けなかったというのが本当のところです。その代りだが、キハ82系と呼ばれる気動車が「かもめ」と「日向」で頑張っていました。
(N)実は、82系気動車は昭和50年の改正まで、山陽特急として踏みとどまりました。そのあと、「はまかぜ」および「あさしお」に使用されていき、そして、晩年は名古屋駅を出発する特急として使命を全うしたとされております。
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(Kt1641F)2610先輩がお会いした時に、「若いころは、山陽路を元気に駆けずり回ったものじゃ」と語ってくださったことを話てくださいましたよ。
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(クハ481型)そして、583系君が鹿児島中央駅に到達したのだが、その2年後に悲劇が待っていた。
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(クハ481型【200】)僕たちの運用そのものが、東海道山陽新幹線の博多駅開業によって消えてしまったわけです。
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(Kt1641F)ざっ、残酷な…(T_T)。
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(クハ481型【200】)なんだかんだ言って、30編成が、やれ北陸や、やり山陽や、やれ九州や、という具合になっては、私たちの体は持たないし、それに、これ以上、時間がかかってしまったらどうしようもない。これは、今回行われた北陸新幹線の動きとそっくりです。
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(Kt1641F)あっ! そうか、485系さんの3000番の運用している「北越」もなくなりましたから。
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(クハ481型【200】)実は、その種は僕だけど…、それより、その後「つばめ」は、飛び去ったままとなったのでしょうか? それについて、次回からは「後篇」としてお話ししていきましょう。
(N)たぶん、引き続き登場していただきましょう。
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(Kt1641F)ということで、次回「01-8」をお楽しみにそれでは。