市民による投票から1週間。

本日の話題の2本目は、「雑記」からというより「歴史もの」のカテゴリに入るお話しです。

昨週のまさにこの時間、大阪市民は投票に行くという事態になっていて、1日で大阪市が残るか、大阪府への吸収合併かで揺れていたというのです。そのため、揺れに揺れていた訳です。

で、結果はご存知の通りですが、否決されることになり大阪市は存続と相成りましたが、新聞各紙はこぞって「否決多数」と報道したことが知られております。では、本当のところ、「大阪都構想」がなぜ否決へと向かったのか、「大阪都構想」のことについて考えていくと、大阪市と大阪府の二重行政の解消を訴えた橋下徹氏の訴えが届かなかったのか、それに迫ります。

実は、この話が始まったのが平成22年のことです。この時に、大阪市で勢力を張っていた「大阪維新の会(のち「維新の党」へ)」が多数を占めていない状況で、府知事となっていた党首の橋本氏が、大阪市とのダブル選挙を仕掛けて大阪市を変えようとしたのがきっかけでした。そこで打ち立てたのが「大阪都構想」です。

大阪府と大阪市を統合し、5つの特別区と市の財政の収集機能を、府と特別区に移動させる上で、ニ重行政の象徴となっていた水道事業などを統合するという話でした。

ある意味では、いい響きに聞こえてきますが、これに反発していたのが高齢者だったという指摘があります。ニューズウィーク誌では、「小さな政府」を目指していた「維新の党」の方針に待ったをかけたと書かれていたわけです。

この指摘を考えると、「小さな政府」というのが「高齢者の切り捨て」につながるという負の側面を表しているということを野党となっていた自民党などが、批判していたのです。
しかしながら、そもそも「小さな政府」というのが唱えられて久しい今日、実は、「小さな政府」は17世紀までさかのぼる「夜警国家」と性格が似ているという部分があります。実は、高齢福祉が叫ばれるようになったのは、昭和55年以降つまり、1980年代からですが、実際に福祉についての考え方、特に労働者視点での考え方が広まり始めたのは昭和一桁の時代から始まっております。それまでは、福祉関連に関しての考え方は定着していませんでした。わずかながら考え方が、広まり始めたということになるわけです。

そして、今回の投票は結果的には、「福祉切り捨て許さず」という結論を出したというわけです。ただ、現在時点でその話が主とは言い切れません。ほかにも、収支格差などの問題があります。
大阪市内5つの特別区の内、中央区などを中心とした地域に企業が集中するということになります。ところが、東大阪市側に当たる東区に当たる地域との格差が生じ、そのうえ、港区を含んだ湾岸区に当たる地域との格差が広がるということも、今回の結果を導き出した一つだったということになるのかもしれません。

ともあれ、これで橋本氏の政界引退に引導を渡したのが、福祉の考え方と、強引手法への決別であったことは間違いないでしょう。

ということで、これで勝っても、自民党大阪府連の代表者たちなどが、どのような政策を打ち出すのか、気になるところです。これからの大阪に何が必要なのか、「これしかない!」という一方的な手法ではない事は明らかですが、これで「大阪の経済的な浮上ができない」と後悔しない様な政策を打ち出せることを期待しつつ、終わりとさせていただきます。

皆様は、どう感じられましたでしょうか…。感想をお待ちしております。


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