新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 06-10「和平交渉と憲法で揺れた時代」

本日の話題の2本目は、「歴史もの」から「新シリーズ」の通算第36回、ついに社会問題となっていた「学生反乱」の最大級といえる事件が起こります。それまでの話となります。

昭和46(1971)年12月に至るまで、学生運動を指揮していた「赤軍派」は、大菩薩峠事件」、「よど号ハイジャック事件」を経て徐々に弱体化しており、このままでは崩壊の危機に陥ると考えた一部メンバーは、ある組織に注目していきます。
当時、神奈川県内で活動していた「日本共産党(革命左派)神奈川県員会」という革命左派組織のことですが、彼らはその間にどんな活動をしていたのか、まず、そのことを紐解き、そこから「連合赤軍」、そして、崩壊へ繋がっていく「山岳ベース事件」、「あさま山荘事件」についてみていきます。

この日本共産党(革命左派)神奈川県員会」とは、どういう組織だったのかですが、この組織は、このシリーズで何度も取り上げている中華人民共和国の指導者毛沢東氏の思想を掲げた組織でした。実は、この組織において母体だったのが、「警鐘」と呼ばれるグループです。
この組織で主に特筆されるのが二つあります。一つは、学生運動中心のそれまでの新左翼とは一線を画して労働運動を重視したこと、二つは、「婦人解放」を積極的に訴えていたことです。

そのあとで分裂が起こったのが昭和42(1967)年、そして昭和44(1969)年3月に日本共産党(革命左派)神奈川県員会」を結成しましたが、結成と同じ年の9月に米軍基地に火炎瓶投下とダイナマイトを設置した爆破等で、「闘争」を起こしたことから、12月に中心幹部メンバーが逮捕されるという事態に陥ります(12月8日に逮捕されておりますその時の中心メンバーは川島豪氏です)。一部メンバーは直後に、佐賀県に移って「日本労働党」を結成することになります。
そういった中で、翌昭和45(1970)年12月。
東京都板橋区の上赤塚交番(現存)に、拳銃強盗の目的で侵入した柴野春彦氏が射殺された「上赤塚交番襲撃事件」等を起こし、この事件をきっかけに「赤軍派」と連携を強めていくことになったわけです。

それからわずか3か月後の昭和46(1971)年2月に、栃木県真岡市の銃砲店を襲った「真岡銃砲店襲撃事件」で武器弾薬を手に入れた後、組織は7月に「連合赤軍」に改称したのはいいものの、メンバー内での軋轢が激しくなり「山岳ベース事件」へとつながります。実は「山岳」は榛名山のことをさしております。
さて、榛名山に山岳地帯に軍事訓練や今後のテロ作戦のための拠点となる「山岳ベース」と呼ばれるアジトを築いたことが始まりです。しかし、革命左派の非合法部(山岳ベースメンバー)と合法部の意見の相違が目立ちはじめます。
これが、集団リンチ、殺人に発展することになります。結果的には、その関係で殺害されたのは12名に上ります。その全貌を克明につづった『光の雨』と呼ばれる立松和平氏著作の小説、その後に映画化されて、大杉連氏、萩原聖人氏、後に政治家となった山本太郎氏、ラストシーンで「あさま山荘」に立てこもる犯人役を演じた池内万作氏の出演で映画化されております。

その事件の直後となる昭和47(1972)年2月に、アジトの発見と内部崩壊によって崩れ落ちかねない状況の中「連合赤軍」は、西を目指して逃走を開始し、偶然軽井沢町に出てしまったことが、その後の運命を決めることになります。
結果的に、この「あさま山荘」に立て籠もったことから、「あさま山荘事件」という
名称となり有名となっております。ちなみに詳しい時系列は、Wikipediaの記事と以前にこのブログで書いておりました「丁度40年前の今頃…。後篇」を参照していただくとよろしいかと思いますので、ここでは詳しいはお話しは割愛して、その後のことをお話しします。

実際に「あさま山荘事件」と「山岳ベース事件」によって、「連合赤軍」は壊滅へと進みますが、母体の一つ「赤軍派」はこの事態をきっかけに分裂する事態となります。もう一つの母体となった「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会」も、分裂状態となり(反ソと反米)、昭和55(1980)年にひっそりと解散しております。
現在、「赤軍派」はNPOとなったとされておりますが、その実情は定かではありません。

さらに日本を飛び出した「赤軍派」メンバーの中には、朝鮮民主主義人民共和国に行った「よど号グループ」が、「日本人拉致事件」に大きく関わっているとされており、もう一つのグループである「日本赤軍」は、中東の「イスラエル建国戦争」から続く中東問題に、一時的に絡みます。政権が佐藤栄作内閣以降、二人の交代を経た福田赳夫内閣の時期に、国際的なテロが活発化したことはご存知の方も多いはずです。
そういう中で、大学生の「政治に関する意識」は大きく失われ、「ノンポリ」こと「ノンポリティカル」学生が増えるという現象も起きるようになりました。
こういった現象が起こったのも、「連合赤軍」が残した事件の影響とみるべき、こう述べる近現代史学者も中にはいるそうです。

さて、次回「06-11」からは再び、政治と領土問題が舞台となります。今度は、「やれ、普天間」だの、「辺野古」だのでもめる沖縄の返還交渉についてお話ししていきます。この沖縄問題については2回連続でお届けします。ということで、それでは。