名列車列伝特集 特別篇 03 「オリエント急行」が愛されたわけ

(N)本日の話題の2本目は、「雑記」から、「名列車列伝特集」の第3回です。
イメージ 1
(Kt1641F)前回は「オリエント急行」の名付けられた時代背景などを、見てきたのですが、今回からは、どうして愛されていったのかについて迫ってみようと思います。
(N)そもそも、鉄道で旅行をするというのが、ぜいたく品だった時代、当然のことながら、利用客層は、王侯貴族のステータスだったという時代でしたから、当然のことながら、この時代は王族の結婚式の時に、この列車を使うといった話などがありました。それより、日本人が乗れなかった列車だと、ここで感じる人もいると思いますが、実際に乗車した方はいるようです。
イメージ 1
(Kt1641F)そうですか…、天皇皇后が乗っていくとか?
(N)実際には、お召という役目はなかったようなので、天皇陛下がご乗車されたという記録はなかったとされております。が、日本人で乗った方はいます。
イメージ 1
(Kt1641F)えっ! ど、どなたです?
(N)その方は、軍医として、後年は作家に秀でた方といえば?
イメージ 1
(Kt1641F)まさか! 森鴎外さんでは?
(N)そうです。
イメージ 2
(ICE-T)実は、国境を超える時に、あるお方がお話しして下ったのですが、確かウィーンの軍医の会議に出席なされていた時に、ご乗車されたと聞いたことがあります。
イメージ 1
(Kt1641F)すごいですね。しかも列車としては、個室という豪華さを誇っているものがいろいろと詰まっているということを考えると、すごい!
イメージ 2
(ICE-T)そういうことですが、当時のヨーロッパはとんでもない戦争に入る「直前」という時期でもありました。当時の「オリエント急行」はその中で、王侯貴族の争議列車、お召列車などを連結してくという事も行われていたわけです。
イメージ 1
(Kt1641F)主力は王侯貴族の…ということですか。まさにすごいことになりましたよね。
イメージ 2
(ICE-T)実は、それだけ王侯貴族のお召列車などが、民間の列車に頼るという例もここから始まります。初めての例は、1885年のブルガリア公国フェルディナンド公のドイツへの旅というのがその始まりだったそうです。特に上り列車のウィーン~カルルスルーエ間でサロンカーを連結するなど、1914年の第1次世界大戦が始まるまでの19年間に、実に5例ほどあるそうです。
イメージ 1
(Kt1641F)日本では、1号列車が「お召」ですが、それを世界各国で走らせているということではないでしょうか?
イメージ 2
(ICE-T)そういうことになりますね。特に、ブルガリア公国フェルディナンド公は1885年の旅行で、あるお方の逢引をされたという話だそうです。
イメージ 1
(Kt1641F)お召列車が、ハネムーン!?
イメージ 2
(ICE-T)もしかしたら、そうなっていたのかもしれませんね。とにかく黄金時代の「オリエント急行」はすごいことになって行きます。ところが、1914年オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナンド皇太子が、銃弾によって倒れたのをきっかけに第1次世界大戦が勃発、その後、ヨーロッパは大混乱へと導かれていきます。
(N)そのころは、当然のことながら、「オリエント急行」の運航は停止されるというわけです。その後、どうなるのでしょうか…。ということで、次回出は「2度の大戦から得たものとは?」です。お楽しみに。