新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 07-5 「憲法とアジア諸国との間で揺れた時代」

本日の話題の2本目は、「歴史もの」から「新シリーズ」の総合45回目に突入します。

この回から、内閣総理大臣が変わります。実は、昭和48年の第1次オイルショックの影響を受けて、日本の経済は狂乱物価のあおりを食い、物価の急上昇を招くなど様々な影響が出ていたのですが、これに汚職事件などが重なって、田中角栄氏首班の内閣から、三木武夫氏が首相指名を受けて、首相についたのが昭和49年の暮れ押し迫るころです。

さて、それまでの間に何があったのか、それについてお話しします。
田中角栄首相が、首相を務めていた昭和49年に入ったころからです。『文芸春秋』の10月発売された11月号で、「金券政治特集」と題された記事が出たことから、その特集記事に当時はまだ記者だった、某有名ジャーナリストの記事が話題を引き起こします。
それは、
新潟市街を流れる信濃川、右岸下流側より(橋は手前より柳都大橋、萬代橋、八千代橋、昭和大橋の順)2012年3月27日撮影
この新潟県を流れる大河、千曲川でありかつ信濃川のことです。ここが舞台となります。
田中角栄氏の家族が経営する企業体が、購入した時価総額4億円の土地が、建設省(現在の国土交通省)の工事時点で、25倍の時価総額100億円からこういうことから、その金額の倍率の高さに奇妙な点もあったことから、信濃川河川敷問題等の資産形成を暴きを暴く記事を執筆した立花隆さんでした。
それだけではなく、田中角栄氏が運営していた政治結社に『越山会』というのがあり、越山会金庫番である佐藤昭と田中の関係及び田中派内での佐藤の影響力を紹介された児玉隆也の「淋しき越山会の女王」にもありましたが、当初はあまり注目されることはありませんでした…となるはずもなく、アメリカ合衆国のメディア「ニューズウィーク」、「ワシントンポスト」が注目し、『文芸春秋』が出版されてから13日後の10月22日、外国記者クラブでの会見で、この問題に対しての質問が集中することになる上、翌日の10月23日の各紙朝刊で大々的に、報道されることになるのです。
そして、その話をしていく中で、ふと疑問を感じるお方もいます。
「なぜ、田中角栄氏首班の内閣の退陣と、三木武夫氏首班の内閣、金脈政治がどういう関係になってくるのか?」
ということでしょう。その話を続けてみましょう。その直後、内閣改造を模索した田中角栄氏、しかし、当時の野党社会党などが、大挙してこの問題を取り上げて追及していきます。そのために、内閣を務めることができないということを、感じた自由民主党は、このままでは、内閣の印象が良くないという事態察知したのか、自由民主党は、田中角栄氏に引導を渡す結果となってしまいます。騒動から2か月後の昭和49年12月9日、田中角栄氏首班の内閣は総辞職となり、一応、おさまったのかと思われましたが、それがとんでもない事態を招きます。
なんと、アメリカ合衆国の航空機機体製造大手「ロッキード・マーティン」社が、「国際興業」社、「丸紅」、「全日空」との汚職が起こってきたのです。これが明らかになったのが、「金券問題」と重なった昭和45年以降のこと、つまり、「金券問題」が明らかになってしまえば、おのずとアメリカ合衆国の「ロッキード」との事件を明らかにさせるという、ドミノ倒しのような状態になってしまいました。
結果的には、三木武夫首相はこの事態を重く見て、田中角栄氏の逮捕を決断することになり、日本最大級の汚職事件へと発展することになります。

さて、この事件の捜査を命じた三木武夫氏、首相となった彼は、この時67歳、そして、その2年後の69歳で、ロッキード事件の問題と格闘していた訳ですが、自民党内から首相辞任をささやく声が聞かれ、結果としては首相在任期間は短く1年ほどで退任するということになります。
それほど、根が深かった事件段わけです。これをきっかけにして、自民党の政治体質の改善を指導した指導者は、わずか1年で政界から身を引き、次の内閣にバトンを渡します。それが、この後の「日中平和友好条約」締結交渉に尽力した福田赳夫氏率いる内閣ということになるのです。

駆け足で、お話ししましたが、これであっという間に2年が流れたのですが、この事件の大きさというのは、まさに、日本を揺るがした事件そのものだったといえるかもしれません。

ということで、次回は46回、そろそろ50回という大台が迫ってきました。ということで、次回「07-6」では、この回で軽く触れた「ロッキード事件」について詳しく掘り下げてみようと思います。それでは。