名列車列伝特集 03-5「戦後生まれ、夜行と連絡し、関西対九州特急の礎を築いた名列車 05」

(N)本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「名列車列伝特集」の「かもめ編」第5回です。
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(Kt1641F)関西対九州特急の一員として活躍していた「かもめ」、実は彼が生みの親となった列車たちはたくさんいます。今回は、そのお話しをしていきましょう。
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(Hs1208F)ということで、『名列車列伝特集 03-5「戦後生まれ、夜行と連絡し、関西対九州特急の礎を築いた名列車 05」』をお送りします。
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(キハ82型)実は、私が受け持っていた「かもめ」ですが、付属編成として、宮崎駅に向かったと思えば、次は西鹿児島駅、現在の鹿児島中央駅駅に向かって走るという2階建て列車として運転されていたのです。ようやく、付属編成が佐世保駅域となったのは、昭和43年の10月1日改正以降のことです。では、その付属編成として担当した列車の、その後を時間を借りましてお話しします。初めに担当した宮崎駅行編成です。こちらは割と早く、列車名が「いそかぜ」となったわけです。
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(ICE-T)「いそかぜ」ですか、「磯の風」という意味で使ったのですか?
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(キハ82型)確かにその通りで、昭和40年時点では、宮崎駅行きと増解結の列車が組まれておりました。実は、この時点で、付属編成は食堂車を外して6両とした合計13両編成のスタイルとなったわけです。実は前回、間違ったことを申し上げていたのですが、昭和40年時点で、対九州特急の食堂車は1両となっておりました。ナレーターさんの言われたお話しは、昭和37年時点の様子をお話しでありました。申し訳ありませんでしたm(_ _)m。
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(Kt1641F)2代目の廃止直前までのスタイルというわけですね。しかし、私も気づきませんでした。やはり効率が悪かったのですか?
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(キハ82型)ええ、それもそのはずです。そこで、付属編成の食堂車を抜いて効率を上げようとしたのです。しかし、2年後に特急列車の「みどり」が、新大阪駅と大分駅、佐世保駅の運転区間を、新大阪駅と大分駅間に一本化したことが転機となり、「いそかぜ」とに佐世保駅行きの任務を託すことになったわけです。
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(Hs1208F)「みどり」さんって、後に併結相手になった列車ですよね。なぜ?
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(キハ82型)そのことについては、この子の登場を願いましょう。
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(クハ481型)先輩、皆様方お久しぶりです。485系です。
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(Kt1641F)「つばめ」編以来ですね。どうしてですか?
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(クハ481型)実は、私は翌昭和43年から「みどり」号を担当した実績があり、今回のことで、キハ82型さんからの要請で、急遽出演することになりました。実は、私が赴任する直前の年である昭和42年に日豊本線の電化事業がスタートし、13年をかけて全線電化を達成するという工事が行われておりました。
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(ICE-T)電化工事ですか…、初めまして、私はICE-Tと申します。ドイツ車両を見るのは初めてですか?
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(クハ481型)美しい姿をしてますね。私の後輩にそっくりの顔つきですよ。
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(ICE-T)ありがとうございます。それより質問ですが、昭和40年代に日本国内では、電化の動きというのは加速していたのでしょうか?
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(クハ481型)そうです。このころは、日本各地で電化が急ピッチで進められた時代でもありました。私が「みどり」として赴任した年は、東北本線の全線電化が完成し、昭和45年には、鹿児島本線が全線電化して、青森駅から西鹿児島駅まで、新幹線を含む電車特急で、乗り継ぐことができるようになったのですよ。
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(Hs1208F)そうだったのですか…。昭和31年の東海道本線全線電化から14年で、主要路線がこんなに電化が進むなんて…。
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(クハ481型)この14年間は、高度経済成長の時代だったのですから、すごいことになっていました。それから10年後、さらに電化区間が広がって行ったのですが、この当時は、昭和42年に「みどり」として運転を始めました。その関係で「いそかぜ」に担当を交代してもらったのです。
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(キハ82型)まあ、そういった事情もあって、「いそかぜ」は佐世保駅行きを併結した形で運転されておりました。それが、昭和43年10月1日の改正で「日向」に名称を変えて復活します。
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(Kt1641F)続いて「なは」と行きたいのですが…だいぶ時間を食ってしまいましたね(^^;
(N)これは次回に回しましょう。ということで、「03-6」でお話しします。それでは、お楽しみに。