大回りして大覚寺へ 05

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「大回りして大覚寺へ」の第5回です。
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さて、四条大宮駅から嵐電嵯峨嵐山駅にやってきた私と、「しまかぜ」氏の二人ですが、
すぐ、嵐山の界隈で昼食をとるため歩いておりました。一昨年の8月に私とS氏とともに来て以来、2年近くですが、その間、台風による水害に逢って中洲が水浸しとなったという話は、このブログでも取り上げたことがあります。
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これが一昨年の9月に襲った水害の時の様子です。右側奥に渡月橋になります。実はそこで昼食をとることにしました。揚げ出し豆腐の定食を食べてみました。この揚げだし豆腐とは片栗粉とショウガをすった時に出る汁を加えて揚げたもので、めんつゆにとろみをつけてかけるというのが特色だそうです。
食べてみると、やはり京都という味がして、懐かしさを感じたというのが感想といえるでしょうか、大げさかもしれませんが(^^;。
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そして、嵐電嵐山駅を通過して北上していきます。私が大学生だった13年前からの4年間、京都寺社仏閣を、訪れることがありました。たとえば、バスに乗車して、巡ったこともありましたが、その時に大覚寺を訪れた記憶はなく、今回初でもあったわけです。
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これは、1キロ縮尺で示したものです。実は京都市営交通の共通料金(当時)の範囲の外でした。そのために行くことができませんでした。しかし、チャンスもあったのですが、なかなかいけませんでした。
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そこで、今回は初めてということになります。では、その中に入る前に、大覚寺が歴史の舞台に、かつて出てきたことがあります。それは、さかのぼること700年程前、鎌倉時代のお話しです。
鎌倉時代の1250年代のことですが、天皇家は、二つの系統に分かれてしまいます。そして、その関係から、持明院統と大覚寺統という系統に分かれておりました。実際に、文永5(1268)年に大覚寺統と持明院統の原因となった御嵯峨天皇が、落飾して素覚と号し、第21代門跡として大覚寺に入ることになってから歴史が始まりました。
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その前に、敷地内に入っているわけではないのですが、こんなお店を見つけました。私の下宿の近くにあったお店を思い出します。たぶん今もあると思います。
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そして、ここから大覚寺に入ります。さらに中に入ったのですが、
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実は、大覚寺は華道の流派の一派を形成したことも有名です。
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そして、この花たちは、華道で生きた証しといえるかもしれませんね…って、それは、生けているのだから当然ということでしょう。
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しかも、「しまかぜ」氏の装いが生け花に映えますね。
ということで、次回からは、その中に入っていきます。ここからは、Wikipediaの画像と撮影した画像を使用します。それでは。

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