名列車列伝特集 特別篇「オリエント急行」が愛された理由 07

(N)さて、本日の話題の2本目は、「雑記」から「名列車列伝特集」特別篇をお届けします。それにしても久しぶりですよね。
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(Kt1641F)そういえば、この回で確か第7回ですよね。今からは戦後編に突入するわけですね。ただ、第2次世界大戦でナチスドイツが6年にわたる戦争により、大敗北を喫してから東西冷戦の時代に移行し、ヨーロッパはその中で東と西に分かれて行くという時代になるのですよね。
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(Hs1208F)そもそもですが、ナチズムが広がっても第2次世界大戦に参加しなかったという国もありますし、その後のヨーロッパというのがどういうものだったのかを見てみたくなりますね。ということで、『名列車列伝特集 特別篇「オリエント急行」が愛された理由』の第7回を始めます。
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(ICE-T)さて、ヨーロッパは世界政治の舞台から外されることはなかったのですが、昭和20年といわれる1945年以降、東側諸国を率いるソ連と、西側諸国を率いるアメリカとの関係が悪化し、抜き差しならぬ覇権争いが始まりました。
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(TGV-TRS)それを述べていくと、きりがないのですが、当時のフランスも多大な被害をこうむっており、イギリスと同時に多くの植民地を抱えていたこの国にとって、時代の波は容赦なく襲いました。中でもドイツは一番の加害者でありかつ被害者でもあったわけです。
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(EF65型1000番PF{この回より再度参戦})しかし、一つ疑問がありますが、戦争の結果で私たちが知っていた車両というのは、一度、お払い箱となってしまったのでしょうか?
(N)いやいや、そもそも、その「オリエント急行」の車両については復活組が多いのだけど、それは次回で取り上げる話だから…全く違うことになりますよ。
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(EF65型1000番PF)そうなんですか?
(N)その話をこれからしていくことになるわけです。
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(Kt1641F)しかし、戦後の状況下はどうなったのか、実は各国で別れてしまうという結果をもたらしました。まず、永久中立国となったスイス連邦と、オーストリアについては割愛します。ほかにはギリシャ、チトー大統領が率いたユーゴスラヴィア(1991年に崩壊)を除いたバルカン地方で、一番ひどかったのがハンガリーとルーマニアです。
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(ICE-T)ハンガリーでは、地元勢力と、ソ連指導部が対立し、昭和21年となる1946年、ソ連との第一次動乱のような事態に見舞われ、さらにルーマニアは国王退位等の混乱で、騒乱状態になりました。
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(TGV-TRS)一方で、ブルガリアでは、王制廃止が選挙によって行われ、共産主義国家化、さらにユーゴスラヴィアではチトー政権が独裁を敷き、ソ連との関係が悪くなったことから、西側諸国との交流を図っていきます。
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(Hs1208F)しかし、「オリエント急行」はどのようにして、運転をされたのでしょうか? 第一、今のようにスムーズにはいかないはずですし、どうだったのでしょうか?
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(ICE-T)実は、「シンプロン・オリエント急行」が、最初に走り出し、イギリスのロンドンからイスタンブールまでを6日間かけて走りました。
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(EF65型1000番PF)それは大変な行程ですね。確か検問が大変だったと聞きましたが。
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(ICE-T)その通りで、この時代からヨーロッパでは日本が1970年代経験するモータリゼーションの流れがあり、鉄道は一時の衰退の道をたどることになるのです。その影響で私たちの先輩方はだいぶ苦労されたそうです。しかも食堂車は常備で連結された列車ではなく、当時は豪華車両も連結する数が少なくなって行きます。代わりに連結されたのが簡易寝台と呼ばれる車両です。要は日本のB寝台車がそれに当たります。
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(EF65型1000番PF)つまり、本当の大衆化は戦後に入ってからだったわけですね。
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(TGV-TRS)実は、鉄道事情も大きく関係します。ユーゴスラヴィアなどの東欧諸国は、鉄道地盤が弱くなてしまい、乗り心地もそれなりに、つまり、「お察しください」という言葉が似合うほど、悪くなってしまったのです。
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(Kt1641F)それでは、列車名としてのオリエント急行はどうなったのでしょうか?
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(ICE-T)実際に、昭和37年となる1962年に、「シンプロントンネル」経由の「シンプロン・オリエント急行」と、「アールベルクトンネル」経由の「アールベルク・オリエント急行」が姿を消すことになり、そのシンプロン便が「ダイレクト・オリエント急行」として、格下げされた後は、「オリエント急行」とともに走っていたのですが、実態が簡易寝台を連結した大衆列車に格が下がってしまったというわけです。
(N)確か、「ダイレクト・オリエント急行」が廃止されるのは、昭和52年ですよね。
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(ICE-T)しかし、なぜ、廃止されたかわかりますか?
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(EF65型1000番PF)たぶん、寝台特急の廃止と似た境遇があるということですよね。
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(TGV-TRS)EF65型さんのおっしゃる通りです。寝台特急が廃止されたのは、需要の低下といった問題が、この車両たちを襲ったと言うことになるわけです。しかし、考えてみると、そこからヨーロッパの特急列車として「オリエント急行」は走り出したことになって行くのです。
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(ICE-T)そして、この列車は各国の客車に、「オリエント急行」で使用されていた「ワゴン・リ」社の客車をつないだ形で走っておりました。そして、1950年から走っていたパリ東駅からブダ・ペスト東駅までを結んでいました。その列車の話については次回に回します。
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(Hs1208F)ということで、次回をお楽しみくださいね。それでは。