大回りして大覚寺へ 09

さて、本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「大回りして大覚寺へ」の第9回です。
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さて、歩いていくとやってきたのが、「霊明殿」と呼ばれる場所です。首相も務めた斎藤実氏が建立した日仏寺の「本堂」を移築させたものです。
さて、その斎藤実氏と、このお寺と、大覚寺が一体どう関係してくるのか、それについてお話ししていきます。

その前に、斎藤実氏のプロフィールから、斎藤実氏については、海軍相のイメージが強いことでも知られておりますが、実は「日清戦争」と「日露戦争」に立ち会うという経験を持っております。ただ、推定ではありますが、「日清戦争」当時は海軍参謀本部員として、「日露戦争」では海軍の首脳部の一人として、実際の戦線には立っておりません。ただ、後に、世界の軍拡競争を抑制する「ジュネーブ軍縮会議」の全権代表を務めるなど(昭和2年)、政治家として活躍し、首相も歴任。
公明正大な人物と評価されていたそうですが、「2・26事件」で暗殺されるという悲劇的な最期を遂げたことで知られております。
実際に、この建物は、彼の宗教的な部分が色濃くにじみ出ているのか、建物全体が朱色で染まっている印象があります。阿弥陀如来(立像なのか、それとも坐像なのか確認できませんでした)を本尊としているので、その色なのかと考えたのですが、厳密に言うと、この大覚寺は真言宗の大覚寺派と呼ばれる宗派で、果たして斎藤実氏が信仰していたのかと考えると、疑問が残ります。
ただ、斎藤実氏の祖先が、水沢藩水沢伊達(伊達本家と異なり、元は「留守氏」と名乗っております)家につかえていた家臣という家柄から考えるなら、真言宗を信仰していた可能性はあります。
実は、昭和33年に、大覚寺の第53代住職草繋全宜が移築したとされております。移築していたという理由は、何か…。もともと、草繋全宜氏が斎藤実氏と親交があったとしたら…、しかし、確かめるすべはなさそうです。
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そんなこともあり、私と「しまかぜ」氏は、「霊明殿」を廻り、出ることにしました。
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そして、こんな竹も…変わっておりますよね。
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そのあと、正寝殿を見ていきます。
ここは、地図で言うと、
③の場所に当たりますが、この後で⑨と⑫の「大沢池」を見に行くので、ほんの手短に、部屋が大小合わせて12室、玉座の間には、後宇陀上皇が院政を行った部屋が再現されているそうです。
そこを見ながら(画像はありません)、ついに「大沢池」の周囲を歩いてみることになりました。ということで、次回「10」では「大沢池を歩く」ということをやってみます。

ということで、本日はここまでです。それでは。