新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 07-11 「憲法とアジア諸国との間で揺れた時代」

さて、連続ですが、本日の話題の2本目は、「歴史もの」から「新シリーズ」の第51回、実は昭和48年と昭和53年の2度にわたって起きたオイルショック、この話を世界で見たときにどういうことが起こっていたのか、それについてお話ししていきます。

実は、この回から、経済の問題を取り上げていきます。世界的にですが、オイルショックが与える影響は、もはや資源を海外に頼る国家にとっては、命綱を人質に取ったものとされておりました。
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まず、このグラフは、石油の価格と、石炭の価格の比較したものです。Toshi_tomie様のブログからお借りしたものです。
この時から、田中角栄内閣では、これではまずいと考えて、原子力の導入を検討し始めております。実際に、1960年代から1980年代までのデーターを取った『昭和国勢要覧』では、1973年当時で300兆キロカロリーを石油で燃焼させたエネルギーによるものであったことを考えると、この2度の危機は、予想をはるかに超えたことだったといえるかもしれません。
他方で、アメリカ合衆国では、エネルギー戦略の見直しに着手、さらにはサマータイムの導入などを行って乗り切っており、この時期から、省エネルギーの考え方が世界で広がる要因を作るきっかけともなっております。

では、世界的にはどういう流れになって行ったのか、実際にいうと、アメリカ合衆国以外の国々では、どういう流れが起こっていたのか、イラン革命の以後、石油依存が高かった国家である日本を含めた輸入国は、石油備蓄の拡大を行うという流れに変わります。そのほかにも、海底油田開発といった、資源の開発事業を行う傍らで、太陽光発電を代表とした新エネルギーによる置き換えが進み始めます。その中で注目されていたのが、原子力発電です。石油に関しては乗用車のイメージを持つ方もいらっしゃいますが、火力発電所で石油を使用した発電がおこなわれておりました。その火力発電所の中には、石炭で燃やすところもあったのですが、将来の展望を考えていた各国では、昭和30年代から原子力発電の動きが見られたのです。
日本でも、昭和40年に原子力発電の実験が行われており、成功しています。
ところが、そういう中で、警鐘を鳴らす事故が起こります。
昭和54年3月28日(アメリカ東海岸時間で)、スリーマイル島にあったスリーマイル原発事故が発生。これについては、映画「チャイナ・シンドローム」がフィクションながら、先見性が高かったとも言われており、この映画の12日後、この事故が起こっております。
4年前の平成23年3月11日に起こった福島第一原子力発電所の事故には及ばないものの、昭和54年当時の事故が社会に与えたインパクトは、計り知れないものとなります。
この前年には、福島第一原子力発電所の4号機(平成23年3月11日の事故で運転停止)と5号機(同じく運転停止)が営業運転を始めており、スリーマイル島原発事故が発生した年と同じ昭和54年には、6号機(4,5号機と同じく運転停止)が運転を開始しております。まさに、遠く海を隔てたアメリカ合衆国での事故について、対策を検討していこうとしたころでもあったわけです。
まさか、それから33年後にそれを越えた事故が、起きるとはこの時点では、だれも予測できなかったのかもしれません。

そのために、新エネルギーの利用を模索する動きもこのころから始まることになります。その一つが、太陽光発電です。実は、オイルショック以降から開発が始まった発電システムです。比較的最近だと思われる人が多いかもしれませんが、ベースとなる太陽電池は、昭和50年代から始まっております。

一方で、アメリカでは昭和50年代から、風力発電が再び注目を集めていきます。そんな形で、石油に頼らないエネルギーの開発を模索していたのです。

ということで、「07-12」は、1970年代の終わりとなった大平正芳氏の率いる内閣が、直面した最後の危機「ハプニング解散」と、首相の大平正芳氏の急死を取り上げます。