大回りして大覚寺へ 11

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「大回りして大覚寺へ」の第11回ですが、私と「しまかぜ」氏は、嵐山駅に戻り、そこから京都市内を目指して電車を乗り継ぎます。
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四条大宮駅行で到着したのは、この嵐山駅まで送ってくださった
この車両が再び、出迎えてくれたのです。こんな偶然があるのかと思いつつ、乗車して、四条大宮駅を目指します。
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途中で太秦天神川駅を横切りますが、この太秦天神川駅が京福電鉄嵐電の中では、一番新しい停留所、つまり駅となっているわけです。
ところで、実は京福電鉄と京都市内を西側に走るのですが、この路線は「京都」と「福井」を結ぶ目的で設立した路線会社がもとになっておりました。その末裔が二手に分かれ、
北側で当初の目的を目指そうとした路線が、「叡山電気鉄道株式会社」として独立しました。それから25年近くになります。
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西日を浴びて出発すると、列車は長閑な嵐山を離れ、京都市中心部に向かいます。
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さて、四条大宮駅まででた後、そこから阪急電鉄の阪急河原町駅行き準急に乗り込んで、阪急河原町駅へ、
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画像はないので、3300系3326編成で代用しますが、これで、阪急河原町まで乗っていきます。
四条河原町駅から、「しまかぜ」氏とともにお土産を購入するため、四条界隈をうろうろしておりました。
この界隈を、歩くときに、思い起こすのが。
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この祇園祭です。実は、この祇園祭を中心とした界隈は、両側町が広がる繁華街になっております。実際に地図で確認してみると、
イメージ 9こんな感じです。実は住宅地に、境界が見えてきますよね。これが、普通なら道路にあるはずの地区の境界で、この境界部分が裏路地にあるということで、向かいの商店同氏が連携しあうという関係を維持できるようにしたとされております。
実際に、それぞれの地区ごとに、門が備えられている江戸時代のころの京都は、地区ごとに深夜になると門が閉まるようになっており、いわゆる「ウナギの寝床」のような町屋が広がる都市とされております。
かつては、税金節約のために細長くしたという話があったようですが、近年の研究でこれはもともと、税金を節約するために縦長にしたのではなく、ある程度限られた区画で、スペースを有効活用するために編み出したものということになります。
当時の町衆、つまり工人、商人の賢さが今の町の形を作っていることを物語るのかもしれません。
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「で、二人が買ったお菓子は何ぞ!?」とお尋ねのお方もいると思いますが、それについてですが、実は、以前にも三笠焼(どら焼き)を購入したことがあるお店でした。
そこで、「黒豆羊羹」を購入しました。リンクを設定しましたので直接ジャンプできます。

そして、お土産を購入して、時刻は午後5時になっておりました。そこから、大阪方面に戻るため京阪特急に乗っていくことになります。
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午後5時に出発する大阪淀屋橋駅行特急に乗り込んでいくのです。
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これに乗り込んで大阪方面に戻っていきます。

ということで、次回は「12」はエンディングということになります。それでは。