新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 08-1 「アメリカ合衆国の協調と憲法で揺れた時代」

本日の話題の2本目は「歴史もの」から、新シリーズ第53回となりますが、ここからは新シリーズとなる昭和55年がスタートしていきます。その初っ端が「07」の最終回の現役首相の病死という衝撃的な幕を閉じ、続く首相は、田中派の人脈が受け継がれていくということになります。実は、この当時の主流派に相対する反主流派の長、福田赳夫氏もまだ健在で、何時分裂が起きてもおかしくなかったことです。

その大平正芳首相が亡くなったことから、首相は「内閣法」で当時の官房長官だった伊東正義氏が、首相臨時代理ポストに就任し、次の首相が決まるまでの一時的なつなぎ役として政権運営を担うことになります。しかし、この当時の自由民主党には、それなりの力を持つのは、田中角栄氏と福田赳夫氏の二人で、その中で一番信頼に足る人物が大平正芳氏が死去した直後から見当たらないという事態になっておりました。
その理由は4点に集約されます。
まず、主流派の理由は、当時の人材で総裁代行を務めた西村英一氏が落選していたこと、続いて、反主流派の理由は、もともとの「ハプニング解散」事態が、反主流派指導によって大平正芳氏を追い詰めたこと、というもの。そして、それなりの人物をという意味で、中曽根康弘氏がならなかった理由は、「田中派の信任を得ていないため」であり、また、これから10年後55年体制最後の首相となる宮澤喜一氏がならなかった理由は、「田中派からの信任が薄かった」ということでした。宮澤喜一氏の場合は、言い換えてみれば大平正芳氏の関係も悪かったことも作用しております。

国内事情はもとより、海外はどうなっていたのかといいますと、この年の翌年に当たる昭和56(1981)年、アメリカ合衆国では民主党政権から、共和党政権に移行し、俳優出身のロナルド・レーガン氏が大統領に就任します。アメリカ合衆国では対日の関係では、交渉と協調の時代を迎えようとしておりました。

一方で、それに対応する日本の代表としての首相として、とりしきれる人物としてふさわしいのはだれか…、それが、鈴木善幸氏でした。なぜなら、大平正芳氏が死去した当時の総選挙で、財界などをまとめる役に徹したことが評価されていたのです。
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その鈴木善幸氏は、異色の経歴の持っております。それは、片山哲氏以来、といっても元がつくのですが、「日本社会党」出身の首相だったのです。
さて、片山哲氏といえば、本シリーズでは紹介しきれなかったのですが、吉田茂氏が憲法草案をGHQで通した直後に、日本社会党が最大与党となったことから、片山哲氏が首相に就任したということになりました。実は、この時に議員となったのが鈴木善幸氏で、初当選した後、社会革命党を経て自民党の前身となる民主自由党に移籍したことから、この名称がつくわけです。

実際に鈴木善幸氏自身が首相となった後、「和の政治」というスローガンを掲げます。其れには、「田中派」と「福田派」の対立の傷口を縫合するための措置ともされていたそうです。実は、人事面でも威力を発揮します。実は、現在の総務大臣に直後に首相となる中曽根康弘氏を当て、ほかにも反主流派から2人、宮澤喜一氏を官房長官に就任させることで、落ち着きます。
この内閣の中で、一番目玉として「赤字国債」を抑えながら、増税はしないという政策を打ち出します。実際いえば、節約をしながら切り詰めるということをやっていくという考え方で、その目標を昭和59年に設定したのです。その「赤字国債」から一時的にですが脱却できたのは、平成2年度海部俊樹氏が首相だったころですが、この時でぎりぎりの状態だったようで、約9年もかけて発行しないというところまで来たのですが、約3年で再度発行する羽目になったことも、この問題がいかに難しいのかを象徴しているということになります。
実は、外交面でも鈴木善幸氏は困ったさんのような存在だったようです。さて、この画像で、正面に写っているのがレーガン大統領夫人のナンシー夫人ですが、ロナルド・レーガン大統領は、「強いアメリカ」を作るために同盟国との対米同盟強化を図ることで、国力を維持しようとしていました。
しかし、もともと革新派の「日本社会党」出身だった鈴木善幸氏は、その軍事同盟があるのかないのかというあいまいな回答を出してしまうことで、当時の有力議員で、この回の初めに登場した伊東正義氏(当時外務相)は辞表を提出するという事態など、「外交下手」が露呈してしまうという事態に見舞われます。

では、方やアメリカ合衆国などからは、どのように見られていたのか、それについては次回の「08-2」でお話ししていきます。ということで、次回、総合第54回からは、「アメリカ合衆国政府の対日輸出要求と、日本の交渉関連」についてのお話しになります。

それでは、次回をお楽しみに。