新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 08-2 「アメリカ合衆国の協調と憲法で揺れた時代」

さて、本日の話題の2本目は「歴史もの」からですが、今回は遡って昭和55年代より前から問題となってきた「貿易摩擦」という問題に取り上げていきます。

実は、この問題は、昭和50年代から本格化したとはいえ、その発端はさかのぼること15年前の繊維産業方面の貿易摩擦に端を発します。なぜなのかというと、昭和25年以降アメリカ合衆国は、対共産勢力の弱体化を狙って、1ドルレートを360円と設定していたことが背景にあります。実際に、工業というのは、繊維を中心にした軽工業をとっかかりにして、生産力をあげそこから重工業、重化学工業へとシフトをするというのが、どこの国でもセオリー的な要素です。さらに言えば、工業化へと進む国々が必ず通る道でもあり、それが早いのか、遅いのかで大した差はなく、産業革命によって成功したイギリスも、繊維産業では日本を頼ることになり、化学繊維が開発されたことから、アメリカ合衆国が優位に立ったとされています。戦後に至っても、化学繊維産業は、需要がうなぎ上りという状況は変わらなかったのです。
実は、対米摩擦というカテゴリーで考えると、この「繊維産業貿易摩擦」が、「対米摩擦」の始まりといわれております。
その繊維産業の「貿易摩擦」については、昭和47年の佐藤栄作内閣において、「日米繊維協定」を締結したのですが、その直後の昭和50年代に入って、鉄鋼産業に関する激しい「貿易摩擦」が起きてしまいます。

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実は、このグラフは、日本の貿易収支の推移を示したものです。さらに、アメリカ合衆国の貿易収支も含めておりますが、実は、昭和40年から貿易収支が赤字に転落してしまうということになってしまいます。さらに言えば、昭和50年代の中で、昭和52年第3四半期と、昭和54年の第3四半期に、アメリカ合衆国の全体貿易収支の赤字幅が、最大値を示すというありさまになっておりました。

そこで問題となってくるのが、アメリカ合衆国国内の産業がダメージを受けるのは避けられそうにない。そこで、この当時の最大の相手国でもあった日本に対して、こういう要求を行っていこうとしていたのです。
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雇用を守るために、鉄鋼とテレビ関係に関しては、対米摩擦を避けるために「対米輸出自主規制」で何とか抑えます。しかし、それでも問題となっていたのは、昭和55年以降どうするのかと思案したアメリカ合衆国政府は、日本政府に対して、アメリカ合衆国産出された、牛肉とオレンジを輸入してほしいという話を持ってきたのです。

良く言えばなのですが、悪くいってしまうと「買ってくれ!」という脅しに近い形でもありました。
つまり、その対価として自動車の輸出に関しての、規制を求めるためにアメリカ合衆国が出した結論だったのです。
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実は、トヨタ自動車のサイトで見ることができるのですが、「日米貿易摩擦」の第2ラウンドで、福田赳夫元首相と昭和56年に就任したロナルド・レーガン大統領との間で、「日米貿易摩擦対自動車交渉」が行われております。この記事は、昭和56年3月22日の朝日新聞社が伝えた記事ですが、この関係も結局は日本が折れる形となったのです。

しかし、視点を変えると、当時の鉄鋼製品の品質の良さはアメリカ合衆国より、日本製が優れていたことが背景にあり、特に自家用乗用車では、日本製の乗用車が、アメリカ合衆国生産の乗用車より、多くの面で圧倒していたこと、さらに、環境に関してもアメリカ車、いわゆるアメ車のような、「大食いの燃費悪い」という不評出会ったことが、日本車が選ばれる背景にあり、それを「技術の違いだからといって、アメリカ合衆国政府がかかわってくるのは、畑違いだろ」という批判が起きる可能性もありました。
実際、言ってしまえば日本車が、アメリカ合衆国に進出するとは、真逆のことがこれをさかのぼること60年前に起こっていることも考えれば、アメリカ合衆国の自動車産業は、新しい風に対して、胡坐をかいていたことにほかなりません。
結果的には、「牛肉」と「オレンジ」の輸入を受け入れたのですが、裏を返せば日本車がアメリカ合衆国に認められたことも意味しており、このことが、昭和末期を経て、平成にまで拡大していきます。
そのために、各自動車製造会社は、海外に拠点を移す形になり、この関係から「産業の空洞化」が叫ばれるようになってくるわけです。

「実際に言って、日本は努力を重ねてきたから、アメリカ合衆国に勝ったのだ!」という主張が、本当のところは正しく、アメリカ合衆国は、この時点で「敗戦国」ということを自覚しない限りは、再生は難しかったというしかないのでは、とわたくしは考えてしまいます。

だとしたら、日本は交渉面で負けたのかもしれません。いいえ、都合よく解釈されたのかもしれません。
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ちなみに、この昭和50年代から本格化した、この「日米貿易摩擦」が続いており、それが「TPP」によって交渉につながるという話になっていくわけです。

考えていくと、今の関係では日本政府と、アメリカ合衆国政府との交渉は続きそうですね。

ということで、次回は再び政治の世界に戻って、中曽根康弘氏が首相として、日本のかじ取りを担っていきます。次回「08-3」の予告ですが、レーガン大統領との付き合いをうまくやろうとしたのが、中曽根康弘氏であるとしたら、そのキーワードは「民営化」といえるかもしれません。次回は「民営化する努力は、『ロン・ヤス』のおかげ?」です。それでは。