新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 08-3 「アメリカ合衆国の協調と憲法で揺れた時代」

本日の話題の2本目は「歴史もの」について、「新シリーズ」の昭和57年以降の話を舞台とします。実は、この昭和57年の年末に近づいたころから5年にわたって、長期政権を務めた中曽根康弘氏について取り上げます。実は今回のお話には、今の暮らしに直結するお話があります。現在、「桃の天然水」を飲んでいる方がいらしたら、吹かないように…、この中曽根康弘氏が率いた内閣こそ、日本の三大公団(電話、たばこ、鉄道)の解体民営化に道筋をつけた人物だからです。

では、その話をする前に、中曽根康弘氏が首相の椅子につくことができたのか、その話から始めます。
もともと、群馬県生まれの彼ですが、その群馬県といえば、今の大河ドラマ『花燃ゆ』の後編の舞台ですよね。この場所は、同時に木材を商う問屋として、「古久松」という屋号を持つお店だったようですね。
その彼は、内務官僚として入省…と思いきや、思いもよらぬ行動に出ます、それが、海軍の軍人という形で、太平洋戦争(彼は入隊から4か月後に、正式に参加)にしていたのです。戦後、内務省に戻った後、政治家として歩みますが、反吉田派の政治家として活動しておりました。
途中を詳しくしたいのですが、時間がないので端折って、一気に飛び、昭和50年代に飛びますが、この間のお話はWikipediaの『中曽根康弘』と、「新シリーズ」の「04」等を参考としてください。
さて、昭和50年代に一気に飛んだのですが、実は中曽根康弘氏が率いる中曽根派は、角福戦争でも注目される一派になっておりました。福田赳夫首相が三木武夫首相からの「三木おろし」混乱の中で首相となっておりました。
実は、昭和30年代後半以降から池田内閣を除く3内閣、具体的に言うと、岸内閣(科学技術庁長官【のちの文部科学相の前身】)と、佐藤栄作内閣(運輸大臣【のちの国土交通相】と、防衛庁長官【のちの防衛相】)、田中角栄内閣(通産大臣【のちに、名称が変更となり経済産業相や、経済再生担当相を兼ねたポストと考えるとわかりやすい】)で閣僚として経験を積んでおり、閣僚名簿からいったん外れます。これが昭和50年代前半で、この時には、自民党の幹事長(三木内閣時)、総務会長(福田赳夫内閣時)を歴任しております。
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そういう中で、中曽根康弘氏が再び、閣僚として顔を見せるのは、それから5年後のことです。行政管理庁長官として、4度目ではなく、通算で合わせると8度目の入閣となったのです。

そして、そこで取り組んだことが、あの有名な三大公団の改革、表の表記はそうなるのですが、本来は「民営化」でした。その各所の話は次回以降にお話ししますが、その中身に深くかかわるのが、アメリカ合衆国と社会党です。この二つのうち、アメリカ合衆国はロナルド・レーガン大統領の下で、「レーガノミクス」を発動させておりますが、同時に「双子の赤字」という、貿易赤字と、財政赤字を抱えていることから、
貿易収支を好転させるために、パートナーの日本に対して、公団の「民営化」を行って、アメリカ合衆国などの企業の参入を試みさせたのではないか、という話があるともいわれております。ただ、はっきりしたことがわかっているわけではないので、一概には言えませんが、わたくしが子供のころに、父親の買い物(もちろん父親も元スモーカーですw)で、たばこを購入した時に、こんなに種類が多いことに気づきましたが、そういうことがあったのではないかと考えてしまいます。

あと、社会党がらみというのは、「労働組合」の大本的な存在となっていた「日本労働組合総評議会」の切り崩しと同時に、社会党の弱体化を図ることでした。ところが、平成元年の「マドンナ旋風」、故土井孝子氏の「山は動いた!」が有名ですが、弱体化には結びつかなかったということになってしまいます。

で、一体どうなるのか、当然ながらですが、ほかのメインとなるのが国鉄関連です。そろそろ時間も押してきたので、このあたりで止めます。ということで、次回は、「歴史的な『民営化』はこのようにして行われた!」という話をお伝えします。

それでは次回をお楽しみに。