新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 08-4 「アメリカ合衆国の協調と憲法で揺れた時代」

本日の話題の2本目ですが、「歴史もの」から昭和50年代後半に入って、中曽根康弘氏が首相を務めるのは、昭和57年の年末からですが、その前に三大公団の民営化について、話を進めていきます。

今回取り上げるのは、JTとなった「日本専売公社」という組織です。そもそも、「日本専売公社」どうして設立されたのか、これを理解していかないと、民営化へと移った理由が見えてこないと考えられます。

昭和50年代から一気に遡って、昭和23年に飛びます。当時の日本はアメリカ合衆国を含めた連合国の間接統治下にあり、その時代はまさに物資の不足が、叫ばれていた時代でもありました。GHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサー氏が、当時の首相芦田均氏あてに、「たばこ」と、「塩」、「樟脳」と呼ばれるクスノキの葉から抽出される結晶体成分を、政府が設立する公社で専売したらどうなのか、という書簡を送ったことが始まりとされております。
そういう関係から、「日本専売公社」が設立されたのが昭和24年6月のことです。それまでは大蔵省(現在の財務省)の外部部局となっておりました。
しかし、早くもこの公社化には疑問があったことがわかっており、昭和35年には「産業計画会議」でこのような勧告が出されます。

「専売制度の廃止を勧告する―専売公社の民営分割は議論の時代ではない実行の時代である」

というものです。この勧告を出したのが、「電力の鬼」と称された松永安左エ門氏だったということを考えると、納得できるかもしれません。
MATSUNAGA Yasuzaemon.jpg
彼が有名となったのは、昭和24年に行った「電力民営化」の流れでした。これはNHKのテレビドラマ『経世済民の男』の第5話「鬼といわれた男」が詳しいので、そちらに譲ります。

その提言の影響を受けて、昭和37年の池田勇人内閣は樟脳専売を「日本専売公社」から切り離していくということになります(実は、樟脳専売法を廃止したことがきっかけといわれているそうです)。
しかし、たばこと塩は専売特許として保持した形となり、そのまま民営化まで続くことになります。では、民営化した背景は3点あげられます。

第1点目は、行政改革の流れが起こっていたことがあります。この当時は、「増税なき財政再建」を実行に移そうとしていたとされているからです。実は、この政策は、鈴木善幸首相の政策そのもので、これが背景にあったこと、そのためには、民間活力の導入、つまり民間企業の参入を促すということまではないかないにしても、その規模に匹敵する能力を備えた企業を誕生させることが求められておりました。
第2点目は、欧米各国からの市場解放要請です。実は、ここにアメリカ合衆国などが絡んできます。昭和56年7月にレーガノミクスを発動していると同時に、欧米の企業は、海外に活路を求めていたという背景もあり、閉鎖的な市場だった日本に目を付けたとされているわけです。「自由貿易は日本の国是」としているのですが、それが果たして、本当かどうかは疑問が残ります。
第3点目は、「日本専売公社」の体質の問題になってくるのですが、経営トップの責任の所在が分からない、予算を国家が管理するという矛盾、労働環境の制約といった諸問題が残されており、その改善が求められていたことも背景にあるとされているそうです(以上の記述は、郵政民営化に際して答申書を出したJTの報告資料よりお借りしました。ありがとうございましたm(_ _)m)。

それに、日本政府としては、たばこ産業の専売から自由化をすることによって、海外のみならず日本国内のたばこの価格を降下させることを促すだけでなく、販売を複数に増やして自由化することで、納税できる選択肢を増やしテイクということを考えたのではないかとみる見方もあります。

しかし、その関係もあってか昭和60(1985)年に、「日本専売公社」はたばこの独占的製造と、塩の専売をJTこと「日本たばこ産業」に譲渡して、解散となっていきます。ここまで行くと、その話が次のNTT、JRにどうかかわってくるのか気になるところですよね。ということで、次回「08-5」はNTTについてみていきます。それでは。