名列車列伝特集 04-7「寝台特急の言葉を作った名特急! 07下」

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(Hs1208F)そうだったのですか!
(N)しかも、昭和36年10月に復活するのですが、それが意外な列車として復活したのです。
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(EF65型P)私も、EF58型先輩から聞いたのですが、実は昼行特急で復活を果たしたのですよ。
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(Kt1641F)えっ! ちゅ、昼行特急?
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(Hs1208F)ま、まさか! そんな編成があったなんて!
(N)ということから、特急として復活した「富士」ですが、その列車はわずか3年で東海道新幹線に変わったのです。
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(Kt1641F)東京駅とどこの区間を走っていたのですか?
(N)東京駅から神戸駅と、もう一つあったのですよ。実は、四国連絡だったのです。
イメージ 1(Hs1208F)し、四国!
イメージ 5(Kt1641F)四国連絡ということは、当時は連絡船だから宇野駅ですか?
(N)正解です。
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(ICE-T{注釈:もう「Tちゃん」と読んでw})そうだとすると、「東海道新幹線」の開業がより便利にしたということになると、そういうことですか(@_@;。
(N)結果論としては、そうです。
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(EF65型P)昭和39年に東京駅から大分駅まで走っておりましたが、後に大分駅から現在の鹿児島中央駅となる、西鹿児島駅まで延長されたのです。これこそが、「日本最長の寝台特急」という称号を手にした瞬間だったわけです。それが昭和55年10月まで続きます。それについては「衰退期」でお話していきます。
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(ICE-T{注釈:もう「Tちゃん」と読んでw})でも、紆余曲折がすごいですよ。
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(EF65型P)そういうことが多いのが日本の列車の特徴です。まあ、そうだと理解してくださいね。
イメージ 5(Kt1641F)ということは、昭和43年の「あさかぜ」の増発があったことから、結果的には6運用についていたということですか?
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(EF65型P)その通りです。しかし、これが当時では限界だったわけです。
イメージ 5(Kt1641F)確かに、東京駅からだと博多駅より以遠は、距離的には難しいということになってくるわけですか?
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(EF65型P)いえいえ、そういう問題ではなく、車両の運用のやり方が難しくなります。そこで、長崎駅行きの列車を2往復に増やしたくてもできないため、「さくら」の増発ではなく、「はやぶさ」の博多駅行き回転車を当てることで解決させたのです。
イメージ 5(Kt1641F)うまくやりくりしていたのですね。ということで、次回「04-8」では、昭和43年以降の「あさかぜ」についてお話していきます。今回は「上下」編に分割しましたが、次回は1本にまとめます。
(N)申し訳ありませんでした。それでは、次回をお楽しみに。