名列車列伝特集 特別篇「TEEが生まれたのは時代の必然 04」

(N)さて、本日の話題の2本目は「雑記」からです。TEEが走り始めて走り始めてからのお話をしています。
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(Kt1641F)それで、どういう影響が起きたのかを見ていきます。
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(Hs1208F)それでは、「名列車列伝特集」の「特別篇」のTEEシリーズの第4回です。
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(VT601型)昭和32年から運航を始めた「TEE」は私たちのように、ディーゼル特急として運転を開始しました。
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(キハ82型)初めのTEEは、ディーゼル特急として登場したというわけですね。どういう事なのでしょうか?
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(VT601型)どうしてなのかといいますと、この当時の電化システムが関係しております。現在はそれに対応した車両が出ておりますが、当時はいちいち機関車を変えて対応しないといけませんでした。そこを「TEE」の創設者であるデン・ホランダーさんは、「ビジネスでは、時間が最優先される」だから、「いちいち変えていると、お客様のサービスに響く」と考えたようなのです。
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(Tちゃん)それだとすると、わたくしの先祖がこの形だったわけです。わたくしは12時間でハンブルグとオーストリアのウィーン走っております。
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(Kt1641F)確かに、電化区間の電気の種類が4種類あるのなら、致し方無いことですね。確か、1500V直流はヨーロッパではわずかと聞いたことがあります。
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(TGV-R)おそらくですが、それは南東線の電圧ですね。実はヨーロッパでは直流区間を採用しているところは、少なく、交流を採用しているところがほとんどです。ただ、この昭和32年当時は商用高圧交流電化はまだ実験の段階で、昭和33年にフランスのランス地方で実験が開始されているのを、当時の日本国有鉄道の技術者の御一行様がお見えになって、学ばれたという話があるくらいです。
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(クハ481型原型)実は、日本での実験線は仙山線ですが、それが発展して今の電化交流システムを担う先駆けを作りました。その点で、フランスとの結びつきは強かったのですよ。もし、フランスの視察がなければ、交流電化システムはここまで発展しなかったとも言えますね。ただ、私も、以前調べてみたことがあるのですが、もともと商用高圧交流電化は、ドイツで発想が出てきたといわれ、第2次世界大戦の混乱で、フランスにわたったといわれております。
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(VT601型)良く調べましたね(-_-;)、しかし、商用高圧交流電化をドイツ連邦鉄道が採用しなかったのには、わけがありました。主に三つあります。一つ目は、交流50ヘルツで25000ボルトでは、今までの変電所の整流器などの設備を変更しないといけないこと、それから、二つ目は、輸送量が低い路線には供給過剰が起こってしまい、かえって維持費がかかることなどから敬遠されていること、三つ目は、今まで三相型交流の交流16と3分の1ヘルツで、15000ボルトの電気での直通が難しいことがあったからです。
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(キハ82型)確かに、気動車ならその関係は難なくクリアできますよね。
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(Hs1208F)ですが、本気になれば特急電車として、スイッチを変えれば電化している路線に対応できる電車は作ることができたはずです。それをやっていったのですか?
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(クハ481型原型)実は、わたくしたちと同じ発想を、スイス連邦鉄道が考えていたようなのです。今でいうとICE-Tさん、「Tちゃん」で呼んでいいですよね。彼女の妹さんに当たるICE3の国際線版BR406型の発想に近いことが行われておりました。それが、RAe TEEII (1050) 形電車で、これが、昭和36年、チューリヒとミラノを結ぶ「ゴッタルド・ティチーノ」に投入されることになるのです。
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(VT601型)電車化されたのは、あとの話ですが、メインルートとして、フランス、ドイツからスイスを通過してイタリア方面に走る列車は、必ずといっていいほど越えなければならない峠道があり、そこを登っていくのにディーゼル特急だけでは、不利な面があるということがわかってきました。日本の場合はどうされたのです。
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(キハ82型)実は、わたくしの後輩に181系気動車というものがいるのですが、この子はわたくしの担当していた列車のうち、同じく峠道を走る列車がいて、そこを電気機関車に連結されてぐいぐい登っていくという、ことをやってのけました。わたくしも担当していた列車ですが、彼が担当になっても補機に引っ張ってもらうということをやってのけていたようです。
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(クハ481型原型)それは、確か私の末っ子が担当した「つばさ」のお話ですよね。現在直通ミニ新幹線で活躍中だと改造された弟たちからお聞きしましたよ。
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(VT601型)が、頑張っていたのですね。
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(Kt1641F)それより、今回のテーマは、どういう衝撃を与えたのかということなのですが…。
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(VT601型)ごめんなさい忘れておりました。実は、モータリゼーションの進展に関して様々な弊害をもたらしていたことは、昭和30年代のヨーロッパではわかっていたことであり、「TEE」の創設自体は、その先鞭となるものでした。しかし、それだけでは「鉄道」が見直されるという、いい話にはなりません。それには、ナレーターさん、それから1641Fさん、さらに1208Fさんたちの住んでいる日本がかかわってきます。
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(Kt1641F)それって、えっ! では、「新幹線」が!
(N)実は、「新幹線」が世界各国の鉄道の再生を促すキーとなったのですよ。
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(VT601型)その関係もあるのですが、登場時の最高速度は以前お話した通り140キロ、それが昭和35年を経て160キロと20キロ速度アップが行われ、昭和42年になるとフランス国鉄がのちのTGVの嚆矢となる最高速度200キロを営業列車でたたき出していくことになるのです。かなり寄り道したので、この話はまた詳しくお話します。
ということで、次回「05」では、そのスピードアップ面と昭和35年から44年までにかけてのお話をしていきます。それでは。
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(Kt1641F) エンドコールありがとうございます。

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