近鉄鉄道祭り’15 「GO GO Rail ways! 近鉄ライナーズ」 06

本日の話題の2本目は「鉄タビ」から「近鉄鉄道祭り’15」の第6回です。さて、私は、10時38分に鶴橋駅を出発した名張駅行き急行で、五位堂駅に到着後、五位堂会場に向かっておりました。

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さて、わたくしが五位堂駅に到着する直前に信じられない後継を目にしておりました。実は、阪神電鉄の近鉄直通車両として、9000系というものがあります。普段は、走行できる路線が、3路線で、近鉄難波線全線と近鉄奈良線全線、近鉄大阪線の大阪上本町駅から布施駅奈良線側だけだったわけです。理論上はあり得るとしても、物理的な要素からすれば、あり得ない光景が広がっておりました。それがこちら、
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一番左奥にいるのが、阪神電鉄9000系「イエローマジックトレイン」こと、
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9203編成です。これは、阪神タイガースの色をそのまま表現したものです。これが登場するとは、まさにこの色が五位堂会場に姿を現していたのです。今回のサプライズゲストというのが、これだったとは、わたくしも思わず声をあげてしまいました。
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そして、何気なく撮影したデボ1型、この画像について、ある年配の女性のお方が、こんな話をしてくださいました。少し時間がずれてしまいますので、これを先に始めます。

その女性の方が、偶然となりに居合わせたのですが、その人が「食べにくそうですね」と話しかけていただいたことから、始まるのですが、奈良線の車両のこのデボ1型を説明した時に出てきたのが、このお話です。

昭和23年3月31日、ちょうど昭和22年度末のことです。この日の午前7時20分発の奈良駅先発大阪上本町駅行き急行が、大阪上本町駅行き普通に追突、3両編成の1両半がつぶれてしまったため、大阪上本町駅などに向かう乗客のうち50名がお亡くなりになるという(うち1人は飛び降りた反動でお亡くなりになられております)大事故が起きたという事態です。当時使用されたデボ1型はこんな形をしていたと考えられます。
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この車両が3両編成で大阪上本町駅駅に向かっていたようなのです。ところが、当時孔雀坂駅を過ぎたあたりから、ブレーキが利かないという事態が発生します。この事態に勇猛果敢に対処した方が3人いたのですが、そのうち一人は、女性の父親の友人で山本秀次巡査(当時生野署所属)というお方で、そのお方は、今も健在とのことだそうです。

ちなみに、ほかの二人は、当時の日本鉄道省勤務職員浪速貨物駅助役の藤村氏と、近鉄高安工場加点機職務班班長だった大倉庄太郎氏です。実は、大倉庄太郎氏と山本巡査は同じ場所にいたといわれております。

さて、その二人はいったいどうなったのか、それについては、この次の記事でお話します。

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さて、さっそく撮影に入るのですが、24型はかる君から順次撮影を開始、ドクターイエローの性格を帯びたこの車両も、登場からどれくらいたっているのかはっきりしていないのですが、頑張ってほしいですね。
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続いては、ノーマル版の「あおぞら2」です。12200系の初期改造車を当てたという話ですが、この色も似あっていますよね。
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お次は、復刻版。やはり「あおぞら」のイメージが15200系にぴったりです。これはこれでいいでしょう。
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続いては、「伊賀エリアTrain」こと5200系5155編成。昨年の任務を解かれた後も、この塗装で活躍しております。隣に番号が写った9203編成が。
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真打は、この人でしょう。阪神9000系9203編成。番号が前から見ると見えません。その上…「タイガースの試合がありますよ!」と宣伝するかのように、表示が「臨時特急甲子園」となっておりました。いわゆる甲子園臨特です。この姿で登場されたのだとしたら何かやってくれると思いましたが。案の定やってくださいました。ありがとうございますm(_ _)m。

ということで、そろそろ時間ですが、次回「07」は大倉庄太郎氏と山本巡査の運命と、どうして事故が起きたのかについて、それと近鉄奈良線を建設した意外な労働者たちの奮闘について、お話します。次回をお楽しみに。