名列車列伝特集 04-8「寝台特急の言葉を作った名特急! 08」

(N)東京から九州へと向かう寝台列車が全盛を迎えるのが昭和40年代後半です。実際に高度経済成長の時代から、オイルショックの混乱を経て、多くの人々が遭遇する安定期を迎えるまで、寝台特急は東京から九州を結ぶ便が花形でした。今回は、そうした10年近くにわたるお話していきます。
イメージ 1
(Kt1641F)しかし、一番活気があった時代が、このころですよね。実際に、給与が二倍となることが多いのもこの時代ですよね。
(N)そうですね。だからといって、決して順調というわけではなく、この後、増発された列車にはそれなりの理由があったわけです。
イメージ 2
(Hs1208F)ということで、本日の話題の2本目は「鉄タビ(臨時便)」から「名列車列伝特集」の「あさかぜ」編第8回です。
イメージ 3
(EF65型500番P)私が、運用に入って3年後、九州寝台特急のエースといわれる「あさかぜ」が2往復化されてから、2年間は、2往復体制を維持してきました。実は、この時の編成は2つに分かれるのですが…。どういう編成だったのか、気になりますよね。
← 博多
東京 →
号車
1234567891011121314
カニ21ナロネ
20
ナロネ
22
ナロネ
21
ナロネ
21
ナロネ
21
ナハネ
20
ナロ
20
ナシ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20




22
と、
← 博多駅
東京駅 →
号車
基本編成付属編成(東京~下関)
1234567891011121314
カニ
21
ナロネ
22
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナシ
20
ナハネ
20
ナハネフ
23
ナロネ
21
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネ
20
ナハネフ
22
この2編成で組んでいたのです。
イメージ 4
(DR2900型)2往復出ていたのですね。しかし、これがピークではなかったのですね。
イメージ 1
(Kt1641F)しかし、編成としては「さくら」の編成に近いということになりますね。
イメージ 3
(EF65型500番P)確かに、その通りです。実はこのころから、急行列車を特急列車に格上げしていく動きが各所で見られるようになります。
イメージ 5
(Tちゃん)確か、今活躍している列車にも、そういったものがあるのですよね。
イメージ 2
(Hs1208F)例えば、その一例としては、ここで紹介する予定ですが「にちりん」、「あいづ」、「しなの」は急行列車が母体でして、ほかの列車では、ナレーターさんのブログタイトルにもなっている「日本海」も急行格上げで登場した特急列車として有名となりました。
イメージ 4
(DR2900型)あの、一つ質問ですが、どうして急行列車を格上げしていく動きが出てきたのでしょうか?
(N)それについては、わたくしがお答えします。確かに、急行列車がまだまだ花形だった時代、特急への格上げが起きたのかと不思議に思える方もいるかもしれません。実は、当時の日本は高度経済成長の真っただ中でしたが、同時に労働待遇が良くなってきたこともあって、特急列車という高嶺の花が、中間層にまで手が届く時代に変わったことがありました。実は1641Fさんが冒頭部分で「給与が2倍」になる時代というのは、昭和35年から39年にかけて首相を務めた池田勇人さんの「所得倍増計画」という計画で、目標としていた数字だったのですよ。
イメージ 3
(EF65型500番P)そういえば、EF58型先輩から伺った話ですが、このころの日本って、政治の世界では「安保反対闘争」が激化した後のことですか?
(N)正直言いますと、それが昭和35年年初から7月の岸信介さんの内閣総辞職まで続いた直後です。ゆえに、「所得倍増」を掲げて、経済を活性化するということが、どれほど国民の心に響いたのかを考えると、わかるのかもしれません。
イメージ 1
(Kt1641F)しかし、それと「あさかぜ」にどういう関係が…。それより、東京からの列車がこの改正では増発されているのですよね。
(N)割合としては、そうなりますが…。全国津々浦々がその真相ですよ。東京に限ったことではありません。例えば、「しなの」は大阪と名古屋を中心として、「にちりん」に至っては、九州オンリーですから、当時は新幹線なぞ伸びてきていませんし。
イメージ 1
(Kt1641F)あっ、そうか…。それでは、急行列車がどんどん格上げされていくのは…。
イメージ 3
(EF65型500番P) それが、昭和45年以降ということになってきます。
イメージ 2
(Hs1208F)しかし、特急を要望していた場所ってどこだったのでしょうか?
(N)例えば、寝台特急だけしか走らなかった路線を上げることができます。例えば、「にちりん」との姉妹関係にある「ひゅうが」、元をたどっていくと、「日向」という列車名にたどり着きます。これは新生特急で登場した列車ではなく、かつては京都駅先発の都城駅行きの急行列車で初登場を果たしております。この列車がのちの寝台特急「彗星」で、その昼行版が「日向」として登場します。しかも、「いそかぜ」の跡を引き継ぐ形での登場しております。ちなみに、その夜行急行は「日南」という名前で引き続き、同区間をサポートしておりますから、お互いが支えあうという関係であったことは間違いありません。
イメージ 5
(Tちゃん)列車の名前って、面白いですよね…。
イメージ 3
(EF65型500番P) しかし、そのころ急行で東京駅から山陽・九州方面に活躍していた列車は、ロングラン列車では、6往復ほどしかない状況でした。ロングラン急行は、短い順に、東京駅から広島駅を走る「あき」、東京駅から鹿児島中央駅を鹿児島本線で結んだ「霧島(のちの桜島)」、日豊本線で結んだ「高千穂」、あと3往復は、東京駅から山陰と瀬戸内方面に向かう列車で、山陰方面は「出雲」、瀬戸内方面は「瀬戸」という感じだったのです。
イメージ 2
(Hs1208F)ちなみに往復数はどのくらいですか? 
イメージ 3
(EF65型500番P)「あき」が1往復、「霧島(桜島)」と「高千穂」が1往復ずつですが、これで一列車、「出雲」が1往復、「瀬戸」が2往復あったわけですよ。
イメージ 1
(Kt1641F)しかし、「瀬戸」2往復は、意外でした。わたくしも、てっきり1往復にして走っているとばかり思っていました。
イメージ 3
(EF65型500番P)しかし、特急化したと同時に1往復にしてしまったのですよ。しかし考えると、減便して特急化したらどうなるのかですよね。
(N)実際に考えてみると、利用客が減ると考えられますが…。ちょっと待ってくださいね。確か「瀬戸」の急行時代は、「さぬき」を吸収しているため、もともと「瀬戸」を名乗ったのは1往復だけだったこともあるので、「元に戻った」というのが本当のところでしょうね。それだけ、供給過剰だったということになるのかもしれませんね。
イメージ 1
(Kt1641F)そうかもしれませんね。というところで、時間も押してきておりますので、この話は次回「04-9」に移してお話していきます。次回をお楽しみ。