近鉄鉄道祭り’15 「GO GO Rail ways! 近鉄ライナーズ」 08

本日の話題の3本目は「鉄タビ」から「近鉄鉄道祭り’15」の第8回です。

本日は、画像から始まります。
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12410系12412編成を撮影したのですが、ピット担当の1230系が、床下を見られていた状況です。実は今回の解説は、このことも絡んできます。
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200型3両編成の急行がなぜ暴走したのか…、その理由に迫っていくのですが、その前に、8600系8614編成ク8114には「普通|高安」が表示されておりまして、それを撮影します。実は、8600系は、大阪線の車両不足を補うために、一時貸し出しされたとされております。関係ない話が枕になりましたが、開設で説明した724列車の中にいた乗客の一人に、大倉庄太郎氏は高安工場回転機職務班班長という役職についておりました。この車両と関係があるのかといいますと、大枠の8000系系列は、その奈良線を後年走ることになるため、少し関係があります。しかし、この解説ではまだ出てきませんので、少々お待ちください。
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さて、寄り道してしまったので本線に戻りましょう。当時、日本の鉄道業界では、列車のブレーキが摩耗し、修理工場で修理しても利きが悪いという悩みを抱えておりました。
実際にブレーキは、生ゴムを生成して作るというのが一般的で、世界史及び地理で習った方も大勢いますが、プランテーションによる栽培方法が盛んだった東南アジア諸国からの輸入に頼っているという実情がありました。
世界史をといいますか、日本史でもご存知の方が多いと思いますが、太平洋戦争開戦時、この東南アジアは欧米諸国の植民地支配地域だったこともあって、連合軍側の宗主国は対禁輸にて、生産をしなくなってしまいます。植民地支配地域に進攻した日本軍でも、そのゴムは大半が、日本国内で戦闘機の膠着車輪用に使用されることになり、鉄道と呼ばれる公共交通機関には流れないという事態に直面します。
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そこで、当時使用されていた普通のブレーキと、セーフガードの役割を果たす真空管ブレーキが存在したのですが、切羽詰まった挙句の果てに、真空管ブレーキを外す措置に出てしまうのです。これは何を意味しているのかというと、まさに、前回お話したことを想定しなければならないということを意味します。
実は似ている事故例としては、昭和24年12月に阪急今津線国道駅から走り出した普通列車今津駅行きが、止まらず、阪急今津線の車止めと阪神本線のポイントを破壊して、久寿川駅で停車した事故でも、ブレーキが利かなくなり、ホームを破壊したというのが近いかもしれません。
ただ、その時点で何らかの方法を取っていたらと思うお方もいますが、昭和10年代後半から20年代前半にかけては、代用による方法を取ること自体が、戦争優先で進められたため発想することができなかったという側面もあります。
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それは、人員面でも同じことであって、この724列車を運転していた運転士は、現在の大学3回生か、入社5年目(高卒)の若手社員に当たる21歳。実は、ベテラン社員は戦争中に海外派兵されていたことから、若い男女が列車を運転していたことになるのです。判断が難しいことを、ベテラン社員なら決断できたのですが、判断が難しかったことも要因として挙げられます。
実は、運転歴が浅いという問題は、10年前のJR宝塚線事故でも一部のメディアから指摘されており、判断力が乏しいという点は共通しております。
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福知山線の事故とは異なるのですが、判断するのが難しいのは否めませんが、列車が暴走したという点を見れば、共通しているところです。

まあ、実際にこのようなことになるのは、悲しいのですが、実際に原因を見てみると、他に行うべきことがあったのではないのか、と思う方もいたのかもしれませんが、実は運転士自身も、車両から身を乗り出してパンタグラフを架線の側に戻そうとして奮闘していたという記録があります。
決して、運転士は諦めていたのではなく、一つの可能性に欠けたのかもしれません。結局は衝突したのですが、彼らの行ったことは、そういうことだったのかもしれません。

日付をまたいでしまいましたが、今回のお話はここまでとなります。次回「09」は掲載日が未定ですが、掲載できるよう努力してみます。ということで、それでは。