名列車列伝特集 04-9「寝台特急の言葉を作った名特急! 09」

(N)さて、寝台特急が世に出てから14年…、寝台特急に大きな変化が表れ始めてから…、新幹線の延伸が始まって、寝台特急にとって代わるという時代へと向かい始めました。
イメージ 3
(Kt1641F)そういった中で、「あさかぜ」を含めた九州方面寝台列車はどういう運命をたどっていくのでしょうか。その話が今回の中心となります。
イメージ 1
(Hs1208F)本日の話題の2本目は「鉄タビ(臨時便)」から「名列車列伝特集」の「あさかぜ」編第9回、「衰退した最大の理由を紐解く」です。
イメージ 2
(EF65型500番P)ただ、わたくしが、活躍を開始して7年後、寝台特急「あさかぜ」は3往復で、わたくしを含めて6列車を担当していたころのことです。わたくしは、働きすぎによる故障が目立つようになってきました。
イメージ 3
(Kt1641F)どうしてですか…?
(N)実は、EF65型500番を補う目的で1000番が生産されたのですが、運用している列車は東京口でも、昭和47年時点で9往復、大阪口でも同じ時期で5往復ほどを受け持っていたわけです。この5往復についてですが、寝台特急「あかつき」が3往復、「彗星」が2往復でした。ちなみにこの二つの列車については、「あかつき」編で詳しくお話します。
イメージ 3
(Kt1641F)確かに、それは働きすぎですね。
イメージ 4
(EF65型1000番PF初期)確かに、「あかつき」を先輩がけん引したのは有名ですが、一時期私たちPF初期組がけん引した時代もあったのですよ。
イメージ 1
(Hs1208F)確かに、それはそれで変になりますよね。PFというと、旅客貨物両用という側面があるわけですが、それにしても、これに東北本線を走る「あけぼの」を加えると、EF65型さんたちが受け持っていた往復数は13往復に達しますよね。
イメージ 5
(EF65型1000番PF後期)1208Fさん。それは間違いです。当時は「日本海」も牽引していたのですから14往復になりますよ。全国の寝台特急のうち、わたくしたちが引いていなかった列車は数えると3列車しかないくらいです。
イメージ 6
(Kt1641F)そうだったのですか! それは知らなかった!
イメージ 7
(Hs1208F)僕も、知りませんでした。おそらく、先輩方なら知っているかもしれませんが…。
イメージ 2
(EF65型500番P)ところが、それだとすると、寝台客車の受注数が間に合わなくなり、結果的に追いつかなくなるという見方と、最新技術を組み込んだ編成の開発が進んできたことから、「あさかぜ」の1往復をねん出するために、昭和47年あることを行います。それは、最新鋭客車14系寝台客車の投入でした。実は「さくら」編でご紹介したのですが。
イメージ 8
(14系客車)「さくら」編以来、久しぶりの登場ですが、私が「あさかぜ」を担当したころは、「あかつき」でも14系客車が採用されており、その方式がこの形につながっていったということになります。ただ、14系客車の最大の欠点は、対可燃対策の不備でした。
(N)実は、同じ年に起こった急行「きたぐに」火災がそのきっかけですが、対可燃設備を整えるべきという機運が高まってきたとされております。
イメージ 8
(14系客車)そのために、僕たちは製造打ち切りとなり、その後輩である14系15型が誕生したのですが、そのころはちょうど寝台特急の衰微とも重なってくるというわけです。
イメージ 4
(EF65型1000番PF初期)確かに、私の後輩が、再増備されて関西対九州寝台特急についた時点で、「兄さんの請け負っていたころよりも少ないぞ」と愚痴っている話は聞いたことがありますよ。
(N)そういうことですよね。しかも、国鉄衰退の波が押し寄せてきたことと重なっておりますから…。
イメージ 3
(Kt1641F)それよりも、その間には、どうやって助っ人を用意していたのでしょうか?
イメージ 4
(EF65型1000番PF初期)それについては、「あかつき」編で詳しくお話しますよ。
イメージ 3
(Kt1641F)何かありそうですね。それにしても「あさかぜ」はこの後どうなっていくのでしょうか?
イメージ 2
(EF65型500番P)昭和47年以降も、何とか3往復体制は維持されていました。ところが、昭和47年は前回お話した通り、急行列車からの格上げが行われていく時代でもあったわけで、それに「新幹線」の博多駅開業が3年に迫っているときだったから、もはや3往復維持が難しくなってきたという壁にぶち当たることになります。
(N)それについては次回に回します。次回「04-10」では、昭和50年代突入後、どのように変わっていくのか、それについてお話します。それでは。