近鉄鉄道祭り’15 「GO GO Rail ways! 近鉄ライナーズ」 09

本日の話題の3本目は、「鉄タビ」から「近鉄鉄道祭り’15」の第9回です。

イメージ 1
さて、解説の話は、まだまだ続くのですが、ここで少し、ブレイクして、今回お会いしたお方について…、お話します。この解説のきっかけを作った年配の女性以外にも、多くのお方とお会いいたしました。
イメージ 2
まず、名前が出ていますが、近鉄広報部のお方(画像の下にお名前がありますのでこれでご勘弁を)とお話ができました。8月12日のお礼を兼ねて雑談をしておりました。実はそのお方に「たんば4号」氏を紹介しております。また、ク8114号のところで出会った男性にも出会ったのですが、実は彼も、フェイスブックの某クラブの部員の一人、のひこみさつさんというお方です。
イメージ 3
その直後、「たんば4号」氏は、お疲れだったようで、鉄道模型のブースの近くの建物で、休憩しておりました。そのころ私は、その合間に、撮影しておりました。

さて、そのあいだに、解説に戻りましょう。
結果的に昭和23年3月31日の事故後、デボ1型はどうなったのでしょうか。この車両たちは、空気自動検知型ブレーキが採用されていなことから、奈良線から転属する形で、京都・橿原・生駒・王寺線に使用されることになりました。京都線は当時は奈良電こと、奈良電気鉄道、生駒、王寺線は大和鉄道という子会社のような形でしたが、この路線が、現在では近鉄ネットワークの一部となっております。
その後、形式番号の変更があって、モ200型として昭和39年まで運用されております。
一方、同じ区間には、中型車両の運転が始まり、初代600系といった貫通扉の搭載された車両が、配置されて行くことになります。しかし、中型車両での運用は、人口増大のなら沿線では、もはや通用しなくなってきたことから、
イメージ 4
奈良線の全線の大量輸送を軸とした8000系が、開発されていくことになります。その試作的な意味合いを込めた車両として900系が誕生したものの、
イメージ 5
ある問題を抱える結果となってしまいます。
それは、トンネルの問題です。このトンネルの問題を何とかしないと…、のちに生まれてくる8000系たちの活躍の場が与えられません。どういうことになるのか、その話は次回に回します。それでは、次回「10」は近鉄の輸送力強化を行った施策とは何か、それについてのお話です。それでは。