名列車列伝特集 04-10「寝台特急の言葉を作った名特急! 10」

(N)本日の話題の2本目は「鉄タビ(臨時便)」より変更した「名列車列伝特集国内編」に移行してからの記事です。
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(Kt1641F)ということで、「名列車列伝特集」の「あさかぜ編」も昭和50年代に入ったのですが、どうなっていくのでしょうか…。
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(Hs1208F)本当に気になるところですが、「名列車列伝特集 04-10『寝台特急の言葉を作った名特急!』10」の始まりです。ちゃんとしたタイトルを言っていませんでしたねw。
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(EF65型500P)そこはいいでしょう。さて、話はさらに進んで昭和50年代となったのですが、東海道山陽新幹線の開業で、わたくしたちの生活も一変していきます。昭和43年登場の「あさかぜ」(下り2号、上り3号)が運航停止にあうことになりました。理由は、東京駅から博多駅を結ぶ「あさかぜ」の時刻に問題があったからです。
実は、博多駅行きの「あさかぜ」2本は、30分の間隔をあけて運転されており、その部分では余剰ではないのか、という声が聞こえてきたことも背景にありました。そのために、「あさかぜ1・2号」の30分後を追うというのは、彼らにとっては厳しい時間設定だったということを如実に表しているといえ、新幹線開業で、その必要性がなくなってしまったのです。
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(Kt1641F)余剰となったということですか…。それはそれで、悲しい話ですね。
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(EF65型500P)実を言うと、当時の東京駅行きの「あさかぜ」は、午後4時58分と、5時33分発があったことから、基本的には出発時刻が早いこともあってか、任期はあまりなかったのが本当のところです。
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(Hs1208F)そういうことだったのですね。しかし、そのころから、国鉄衰退の波は押し寄せてきたのですよね。
(N)その通りです。スト権ストなどを行っていた当時、寝台特急の末路もまた悲惨なものとなってしまいました。
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(EF65型500P)確かに、このころはそうでした。しかし、大打撃を受けたのは、何も「あさかぜ」に限ったことではありません。
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(Kt1641F)確か、この関係で「みずほ」と「はやぶさ」の役割が変化したと伺っておりましたが。
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(EF65型500P)実は、「はやぶさ」と「みずほ」の役割が変わったのは、「みずほ」の付属編成を長崎駅行きとして運航し、「はやぶさ」の長崎駅行きに分割していた編成を熊本駅までの増結車両として調整していたというのが、真実です。ただ、朝刊配達任務はかつて「みずほ」が務めていたのですが、その役割は「はやぶさ」に引き継がれることになります。
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(Hs1208F)新聞輸送というのは聞いたことがありますが、そういう理由があったのですね。納得です。そのあとはどうなったのですか?
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(EF65型500P)他の列車たちが24系客車へ変更される中で、わたくしたちの受け持っていた「あさかぜ」も、昭和53年のダイヤ改正で、24系25型への変更を申し渡されることになると同時に、わたくしの14年にわたる活躍に終止符が打たれることになります。
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(Kt1641F)えっ、昭和53年まで「殿様あさかぜ」が運転されていたのですか!
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(EF65型PF6次)その通りです。そして、わたくしに変更されたころから、「あさかぜ」は、後続となった2列車「はやぶさ」「富士」とともに共通運用の客車で編成を組むことになります。もうそろそろ時間が来ておりますので、ここまでとしまして、次回に回します。次回「11」では、共通運用となった昭和53年10月から、昭和60年までの期間をお話します。それでは。