近鉄鉄道祭り’15 「GO GO Rail ways! 近鉄ライナーズ」 11

本日の話題の3本目は、「鉄タビ」から「近鉄鉄道祭り’15」の第11回、この前の週から1週間ほど空いてしまいました。昨週の記事から、開いたので少しお話していきます。

実はこの前、第10回の解説で出てきたのが、Nゲージのブースです。
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そして、実はNゲージというのは、ここ30年でメジャーとなったのですが、これよりも小さいゲージも登場してきました。実は、これらの車両は最近グレードが上がってきて、前の時代を知る私にとっては、6両セットで1万円台だった頃が懐かしく感じられます。現在では6両セットでも、1万円を大きく超えるものが出ているのが当たり前で、種類も豊富になり、幅が広がったような感じがします。
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一方、こちらはHOゲージです。ここには、南海電鉄30000系、7000系がおかれておりました。もちろん「しまかぜ」専用の50000系、ビスタカーEXの30000系も姿を見せておりました。
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では、解説の第11回は「近鉄奈良線」のその後です。今、山陽電鉄の最新型車両6000系が写っておりますね。近鉄奈良線は、「新」生駒トンネルの開業を境に、ベットタウンとなっていく生駒市、奈良市を最短で結ぶ自由席特急を増発させると同時に、急行も増発させ、昭和35年以降の産業構造の変化から工業化の波に乗っていた大阪を支える原動力となっていきます。
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しかし、そうした中で、地上のホームが手狭になってしまった奈良駅では、早くから改良工事が模索されておりました。実は、計画があったのは、戦前からとされており、地下化がメインとされておりました。
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これは、昨年5月に撮影したものですが、これでもわかる通り、当時の近鉄奈良駅周辺は、路面電車の姿を残した区間として有名だったのです。
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モータリゼーションの普及によって、奈良駅も高架化するか、地下化するかでもめます。ところが、実際に言うと、地下化を求めておりました。理由は何かといいますと、
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文化財の存在です。実は、奈良市内は文化財の宝庫であったこともあり、高架化してしまうと面倒で、景観美に引っかかるという文句がついたことから、高い建物を建てる余裕がないといわれておりました。近年では、JR奈良駅の周辺が高架化され、
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こんな画像を撮影できるようになるほど、景観に関しての規制は、緩くなったのかもと考える人々も多くなったといえます。
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では、地下化したのは、そういう事情が背景にあったと、考えるのが妥当なのかもしれません。
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そして、昭和45年3月、のちに阪神電鉄との直通が実現する近鉄難波線が開業、これによって大阪市の繁華街「ミナミ」へのアクセスが便利となります。ここから先、平成21年の阪神なんば線が開業するまで、39年の長い間、足踏みをすることになります。
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そして、その難波駅開業から3年後、昭和48年に奈良線特急の特例を廃止し、快速急行に格下げ、新たに座席指定の特急を新設して、座席サービスの向上に努めたのです。
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その後、奈良線は快速急行を中心に、運転系統を組むのが主流となりましたが、昭和23年の事故から、早くも30年の年月が過ぎ去っており、昭和50年代以降は、ATSなどの設備も強化されていきます。
その後、近鉄奈良線はいったいどうなっていくのでしょうか。それについては、次回をお楽しみに。

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というわけで、本日のラストはこの画像で〆ます。皆様おわかりかもしれませんが、奈良交通の「新宮特急バス」の画像となりました。

そういうことで、次回「12」では、そのあとのお話についてしていきます。それでは。