名列車列伝特集 05-5「書籍にもなった伝説の名特急! 05」

(N)それで、3月11日に何をしていたのですか?
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(Kt1641F)どうしていたのかというと、あの時は、わたくしは、いつも通り運用についておりました。
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(Hs1208F)それは、わたくしも同じでしたね。あの時は、いつも通りの運用についておりました。しかし、「津波」の映像を見たときは、驚きましたよ。まさか、波が線路すら破壊するのかと…。
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(E5)僕たちが、本月の26日から北海道に乗り入れますし、実は第6弾のゲストで、伺っておるのですが…。それより、今回は「こだま」さんのお話ですね。181系大先輩、80系大先輩こんにちわ。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)おやおや、これはE5系さんこんにちわ。東北新幹線はどうです?
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(E5)今のところ、震災前まで回復したのですが、新幹線以外の路線は、少し厳しいかも…。実は、気仙沼線が再生は、鉄道では難しいと前々から言われておりましたから…。
(80系電車)私も気になりますね…。東北地方で唯一の直流区間となる仙石線がどうなっているのか…。
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(E5)それより、この話は別の項でお話するのが、よろしいのかもしれませんよ。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)では、さっそく話を始めましょう。『名列車列伝特集 05-5「書籍にもなった伝説の名特急! 05」』をお送りします。さてさて、今回のテーマは、食堂です。なぜかといいますと、食堂というのは、当時の鉄道ではなくてはならない技術でした。
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(Kt1641F)確かに、わたくしの隣に、キオスクコンビニ(右端)があるのですが、当時は、あまりなかったという時代背景があったのは、事実だと思います。
(N)確かにそうだと思いますよ。今の『飽食』の時代ではないですから、当時は非常に貴重でしたが…。
(80系電車)それはそうと、実は、この食堂の問題がありました。それは、食堂車の新しいスタイルの模索でした。従来、食堂車は、レストランを車両に詰め込んだ形であったため、ビジネス特急には似合わないと判断していたのです。そこで、当時の鉄道技術関係者では、こんなスローガンがありました。それは、「通常生活よりは一段優れた、現在流にいえば『非日常的なゆとりある空間を演出する』というものでしょうか、そんなものを目指しました」ということでした。
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(Hs1208F)非日常ですか…、それがビュッフェと関連するのか不思議な気がしますが、飲食店とかを意識したのですか?
(80系電車)それ以上のものを要求したのです。その中身は、詳しく言うときりがありませんので、例を取って2つほど紹介しておきます。1つは、照明です。当時の照明は吊掛モーターを装備したわたくしを含めた車両が、白熱灯が主流だったことから、100ルクスにも満たない明るさでした。そこからは、クロハさんよろしく。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)わかりました。実は、この当時の蛍光灯搭載車両としては最高峰といわれる550ルクスの蛍光灯をつけていたのです。この当時は、通勤車両でも蛍光灯を装備した車両では300ルクスが限界でした。今なら550ルクスは当たり前ですよね。
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(Hs1208F)当たり前というか、一昔前という気がします。おそらく、700ルクスぐらいになるのではないでしょうか?
(N)1208Fさん。一言述べておきますが、当時の一番明るい建物として、日本橋三越百貨店店内の明るさと同じですよ。
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(Kt1641F)まあ、当時としては、かなりぜいたく品であったことは、確かな感じですね。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)実は、当時のサービス技術の向上も投入されることになりました。その代表といえば、電子レンジです。
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(Kt1641F)で、電子レンジ? それって、当時としては、高級品の部類に入るのでは?
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)営業用の部類に入る機器類が、数多くそろえられておりました。特にお客様から好評となる設備として、エアタオルという技術が、用いられたのですよ。これは、この車両のために開発した特注品でした。
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(Hs1208F)一般化したのは、いつ頃です?
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)私たちが、上越線系統に閉じ込められてしまう昭和50年代にまで下ることになります。
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(Kt1641F)す、すごい! その17,18年も前に、この時代を先取りしていたなんて…Σ(・□・;)。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)実は、発注した星さんが、実際にアイディアを出して、それを松下電器産業、現在確か、パナソニックでしたか?
(N)そうです。パナソニックに変わっております。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)その会社が、実際に製造したのですよ。あっ、そうそう、わたくしも、松下幸之助さんにお会いできました。
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(E5)すごい、最新技術の結晶だったのですか。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)そうだったのだよ。しかし、食堂車で、私鉄でも使用を開始していたところが、かつてあったのですが…。
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(Nk7189F)それは、わたくしのところでしたね。電車史上初の食堂車を連結したのは、わたくしの所属する南海電鉄の前身、南海鉄道の電6型です。木造車両でありながらも、食堂車を連結していました。実は、ビュッフェコーナーを搭載した車両が、登場しようとしました。
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(Kt1641F)その前に、151系さん…181系さんでいいのかな? 彼の話を少し…。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)実は、ビュッフェについては、カウンター形式、いわゆるコーヒースタンド方式を採用したので、車窓を見ながら、コーヒーなどを飲むという立食スタイルをどうしようかと考えていくようになったのです。
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(Kt1641F)そのスタイルを、採用したのが、私の正面デザインのもととなった。12200系大先輩です。12200系は、兄弟車両の12000系大先輩とともに、30両がビュッフェ搭載の車両として、製造されました。これが、151系さんから13年後のことです。
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(12200系)わたくしはその末弟ですが、兄から聞いた話では、当時はビュッフェスタイルを採用する車両が目立っておりました。実は、このスタイルは、ほかにも東武鉄道でもDRC1720系が採用しております。さらに、小田急でもそれに近い形を取りました。東武では、その伝統を踏襲して100系がビュッフェを搭載した車両を連結しております。151系さんはパイオニアだったということにほかなりません。
(クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)結果的には、私の技術がこういう形で、あと後に続く人たちを育てたということにほかなりません。
(N)確かに、その通りかもしれません。それより、普通車両に関しても、画期的な設備が導入されたのです。そこについては、またお話します。
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(Kt1641F)楽しみですね。では、次回をお楽しみに。