僕は、生還したのだけど…。後編

本日の話題の2本目は、「がんばろう熊本【熊本大地震関連】」から、昨日の記事の後編をお届けします。

さて、昨日の記事で、対馬さんは自分のなすことが何かと問いつつ、募金箱を置く活動を続けているというお話をしてきました。本日の記事はその続編ですが、4月16日の本震発生直後、対馬さんがどんな印象を受けたのかを書いていきます。

4月16日午前1時25分、益城町を2度目の震度7が襲った地震で、南阿蘇村にも被害が出てきたのは、皆様もメディアでご覧になられたかと思いますが、対馬さんはその時、下宿先の自室で、被災します。重さ120キロもある水槽が落下して、左足を直撃するという事態に見舞われました。

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彼は必死になって、ソファに必死にしがみつき、揺れをしのいだのです。その途中で、外で巨大な音がなったので、自分は死んだと思ったのだそうです。そして、揺れが収まってから、後輩の学生を避難させ、脱出できるのかと思いながら、阿蘇大橋方面に行くと、驚愕の光景を目の当たりにします。

は、橋が、橋が、無い!!!!!!!

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なぜ橋がないのか、驚くしかないという事態に、「たぶん、アパートごと土砂に飲み込まれていた」とされていたようなのです。実は、阿蘇大橋は深い谷にかける橋だったので、それが一気に崩れてしまったのです。
その中に、もしかすると、一人が車が巻き込まれているのかもしれません。
現在、東京に戻った対馬さんは、東京の満員電車の中にいるのが怖くなったそうです。

しかし、その対馬さんにとって、心の支えとなっていたのが、南阿蘇村民との会話だそうです。南阿蘇村民との交流がありました。実は、4月下旬になっているのですが、対馬さんがLINEでのやり取りをしていたのですが、対馬さんあてにこんなメールを受け取りました。
大家さんから、対馬さんたち学生の生活を気遣うメールが寄せられているのです。
その大矢さん曰く。

「学生さん達に良い思い出として、ずっと心に残る故郷になれば嬉しいです。家も無くなりましたが前向きに頑張って行きます」

と、励まされているようなのです。ほかにもこんな感じで、

「俺らの暮らした村、こんなひどい状況を少しでも広めて欲しい」

とメッセージをつけている例もあったそうです。では、東海大学の南阿蘇キャンパスの復興はいつになるのかですが、東海大学の南阿蘇キャンパスは、連続する余震と、梅雨による土砂崩れの危険性があるので、なかなか復興とまではいかないとされております。

そのために、熊本市内にキャンパスを臨時移設して対処するとのことですが、実は、熊本市内は学生たちの住居を確保できないという、自体が待ち構えております。

さて、南阿蘇キャンパスを再開させようと、対馬さんの母親の知人が開いた、経営者50人ほどが集まる企業設立発表会で、地震の体験を講演を行い、講演後、大勢の参加者が、励ましの言葉とともに募金を渡すという形になっておりました。

その対馬さんは、

「東海大生はずっと村にお世話になってきた。活動も、地道に長く続けていきたい」

と語ってくれたのですが、南阿蘇キャンパスの賑わいを取り戻すのは、いつなのかはわかっておりませんが、対馬さんたちの奮闘が続いております。

がまだす!

と声をかけてあげたいほど、彼らは奮闘しております。
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私も応援してあげたいほどです。ということで、次回記事ですが、
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舞台は、水俣市です。なんと水俣病が地震の影響で、再来する可能性があるという指摘があるとされております。それは果たして事実なのか、次回から合計3回にわたり特集いたします。60年前の過去を繰り返さないために…。ということで、次回をお楽しみに。